山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

クラクラ。

今日は、DVDで、アラン・レネ監督の「夜と霧」とアメリカのジャーナリスト、ハンター・トンプソンを描いたドキュメンタリー「ゴンゾー」の2本を見ました。

「夜と霧」は、アウシュビッツの収容所でなにがあったかを描いたもの。

当時の様子(1942~45)を撮ったフィルムと戦争が終わって、10年後(1955)にあらためて撮った映像がカットバックする手法で描かれていました。

今となっては、その手法は特別珍しいものではないですが、発表当時はとても新鮮なものとしてとりあげられたようです。…というか、この作品がきっかけのひとつになり、過去と今のカットバックの手法が、当たり前になったんでしょうね。

なんでも最初にやったひとがいる。

そこでなにが行われていたかを知っていても、映像をあらためて見ると見るに堪えない、衝撃です。死体の山々。

偶然、以前に同じ素材を見たことがあったので、初めて見たときほどの衝撃ではなかったですが、とはいえ、あんまりだ…。

しかし、知らなかったことも。

収容所内には、売春施設があったんですね。捕虜の女性が娼婦になっていた。そして、ナチスのひとたちがそこを訪れるシステムだったようです。情婦は他の捕虜より食事がよかったと。

そして、もうひとつの衝撃は、収容所を大企業が利用していた…ということ。当時のドイツのなだたる企業が、捕虜をつかって、労働させるのに使用していたんですね。

こわいなー。

ツイッターで羽仁五郎さんのBOTを読んだのですが、ヒットラーの後ろには彼を動かしている資本家がいた…と。

大資本家にとって、政治家など誰でもよく、自分たちに都合のいいように動いてくれるものを据えるだけだ…と。

そう考えると、資本主義がもっと進んだ今が怖くなってきました。

資本主義は壊れ始めているのでは?

金属疲労を起こしているのでは?

と思ってましたけど、資本主義が機能しない…というより、進みすぎて、一般人には手に負えない状態になっているのかもしれない。

これ以上、悲惨なことがおきないでほしい。でも、じっとして願っていてもダメなんだよな。

映画「ゴンゾー」はまさに、世界を変えるために、自ら闘ったジャーナリストの話。

書いてるだけじゃなくて、自らも闘いを挑んでいったひと。

ベトナム戦争終結を願う大統領候補を支持し、彼のために、取材して書き、ライバルを蹴落とすために、真実じゃない記事まで書いた…。

このドキュメンタリーのなかで、60年末~70年のベトナム戦争の頃と、2000年代初頭を2面ワイプにして比較していて、同じようなシーンがあるので、クラクラした。

クラクラするなー。

そして、ハンタートンプソンは、2005年にピストル自殺している。

ちっとも世界はよくなってないじゃないか…という感想もありかと思う。

でも、やっぱり、ちょっとはよくなってる…と思う。全部が無力ではなく、なにかしたひとたちの力が最後の暴走だけは食い止めたりしているような気がする。

わずか一滴でも投じるっていうのはありなんだと。