山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「シャンボンの背中」

相変わらず、風邪で何も出来ないので、映画を見たり、ゲームしたり。

wowowでやっていた映画「シャンボンの背中」を見た。

日本未公開だったそうだけど、出色の作品。

風邪じゃなかったら、見過ごすところだった。

ていねいにつくられた、完成度の高い映画。久しぶりにこういう作品を見た。

さすが、フランス映画と言わざるおえない。

舞台はどこにでもあるようなフランスの田舎町。

中くらいに都市化されつつも、緑の多い、のんびりした町。

主人公の男性は、この町で大工として働くジャン。たぶん、40代前半くらい。

工場で働く妻と一人息子(小学生くらい)がいて、取りたてて不満のない、平凡だけど平和な家庭。

ファーストカットの場面から、この夫婦が労働者階級だけど、お互いを愛し合っていて、非常にうまくいっていることがわかる。それが、全然説明っぽくなく。

ここらへんからもう、傑作の予感はしてたんだけど。

で、そんな平和で愛に満ちた世界で起きる、ほんのちょっとした事件。

妻が背中を痛め、息子の迎えに行けなくなる。それもほんの一週間だけ。

妻の代わりに学校へ出向いたジャンは、息子の教師である、シャンボンと出会う。

30代半ばと思われる、ちょっと疲れた感じのするシャンボン。とりたてて美人でもなく、きらめくセクシーさがあるわけじゃない。

でも、この二人が出会ってしまう。

言ってみれば、他愛のない、どこにでもある、ささやかな恋のお話。

ジャンが結婚しているので、「不倫」と呼べば呼べ、ってところだけど、自分にはこれは、不倫とかどうでもよくて、まずは、「片思い」の話として見た。

お互い、なんとなく惹かれていくけど、それを正直には表せない。

真正面に見つめることが出来なくて、互いの背中を見てしまう。

片思いの段階にはこういう場面がよくあると思う。こっそり見る…感じ。

タイトルの「シャンボンの背中」はwowowでオンエアするにあたって、つけられたものらしいけど、「背中」ってホント、片思いを象徴している。

自分の短編にも、「やさしい背中」というのがあって、これも片思いの話だ。
(「オトナの片思い」という短編集のなかの一編)

密かに気持ちを寄せるひとの背中をじっと見てしまう…というもの。

片思いってひっそり「見る」ことでしょう。

そこらへんも通じ合って、いいなーって思いながら見た。

ストーリーだけ言ってしまえば、結婚している大工のジャンが、息子の担任教師シャンボンに出会って、恋するってだけ。

どこにでもある、誰にでも書けるような話なのに、セリフが全部自然で、とってつけたようなものはひとつもなく、映像づくりもまた、カット割りが少なくて、説明しすぎず、完成度が高いのに自然に見える、という離れ業。

なんかもう、「参りました」って感じの完成度だった。

ただふたりの恋の行方を見るだけなのに、展開がちっとも読めない。

電話に出るか出ないか、キスするかしないか、振り返るか返らないか、追いかけるのかやめるのか。

全然、予想できない。

たいていの映画やドラマはもうその展開が読めてしまうほど、手練れの鑑賞者の自分なのに。

久しぶりに、ドキドキしながら見た。

同じ監督の作品、ひとつも見ていなくて、これからがっしり、おさえていきたいと思う。

他の作品のラインナップを見ても、この監督は、旬をはずれた人間の人生の大きな問題を前にしての「ずれ」とか「ゆらぎ」を描いたものが多いようだ。

人生の大きな問題っていうか、結婚とか恋とか死を前にしての態度とかね。

楽しみ。

自分の短編小説「やさしい背中」は以下の本に。↓

オトナの片思い