山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

ただほど高いものはないのか?ホント?

先日、同じテレビ業界にいる同世代の女性プロデューサーとご飯を食べておりました。

彼女は私とちがって、「勝ちに行く」「勝ちに行きたい」人であり、これまでの仕事人生でも、パワー全開で働いてきたひとでありました。

20代の頃より知っているので、会う度、話す度に、わたくしの計算しているようでいて、全然計算まちがってる人生を、「バカなの?」と言われ、日頃の迷い多き行いをずいぶんと叱責されてきたのでありました。それもまあ、冗談半分といいますか、友達なので、笑いながら過ごしてきたのでありますが。

で、わたくしは、会社なども営み、テレビや映画などを作っているのですが、最近とみに、「儲かるか」という視点が抜け落ち、「面白いか」のみに焦点をあてるようになり、たとえ、儲からなくても、その時、面白かったら、いいのではないか…という考え方にシフトしております。(危険ではありますが)

だって、ロケして、面白かったら、それを作ってる時が楽しいなーって思えたら、なんか、それでいいじゃないか。

いやな仕事をしてお金をもらって、そのお金で、遊びに行くなどの「楽しいこと」を買うとしたら、「いやな仕事」→「お金」→「楽しいこと」となり、その間に「お金」が介在する。

が、

「楽しい仕事」→「楽しい」だとすると、そこに「お金」が介在しなくてもいいのではないか、ということに気付いたわけです。それは仕事なのか?とも思うけど、そもそも、仕事じゃないとダメなのか?ってところまでいきつく。

たとえば、「家を直すこと」を友達や知り合いを集めてやっている人がいて、そうするとそこにはお金は介在しない。でも、集まって直す、ことが楽しいのでギャラはいらないわけです。終わって、みんなでご飯食べて飲むときの食費くらい。

自分の仕事まわりでもちょっとしたことを頼んだひとが、ギャラいらないって言うこともあり、自分も無料の原稿書いちゃったりもしている……なんかそんな感じなっている…と友人に話したところ、

「ただほど高いモノはないのだから、ちゃんとお金を払ったほうがいい」と強く主張されました。

その時は、あまりに強く主張されたので、「そうかもね」とつい、強く言われるとなんでも承諾してしまう自分はうなづいたのですが、どうもやっぱりそうではないような気がする。

そもそも、「ただほど高いものはない」という考え方がちょっと匂う。資本主義の苦い匂いがする。

タダというのはタダに見せかけて、あとでもっと、高額を請求できる仕組みになっているのだ…と言っているように見える。

だから、タダだからといって、うかつに飛びつくとひどい目にあうぞ、損するぞ、と言っているように見える。

その発想がなんだか…。

インターネット上にはフリーウエアがいっぱいあり、フリーゆえ、自由に参加できて、口をだせることでそのソフトがよくなっていく。

ネット上の助け合い、お互い様という感覚は、知らないうちに広まっていて、人々の根底にある考え方を変えていくような気がする。

「タダほど高いものはない」ってすぐに言い出す世界観を持っているひとと、「楽しかったからいいや」と思える人は、知らないうちに、考え方のズレが激しくなっているのではないかしら。

なんつうか、自分の「楽しい」とか「面白い」という実感を大事にしたほうがいいんじゃないかなー。

これだけ儲かった、これだけ数字とった、ってことでしか、実感できないのって、なんだか。

うまく説明できないけど、「タダほど高いモノはないから気をつけろ!」って言われて、一瞬頷いたけど、どうにも、気持ちが収まらないので、その友人にメールしようかと思ったけど、とりあえず、ココに書いて見た。

お金というのはツールに過ぎないのに、ツールだけが一人歩きして、そのツールの部下(奴隷とまではいいませんが)になっているのはどうかしらと。

「お金」という尺度を1度手放してみたらいいんじゃないかしらと。

そんな風に思いました。

じゃあ、てめえはお金いらないんだな、全部よこせ、カスミ食って生きていけって暴言くらいそうですけどね。コワイ。