山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

自分メンテナンス

時間に余裕ができたので、自分メンテナンスをしている。

家の掃除をしたり、こまめに洗濯したりという、家事レベルから始まり、
美容院行ったりの、外見メンテナンス、
映画、dvd、舞台などの、内面メンテナンスなどをしている。

最近見たモノは、
録画によって、映画「オーファーザー」「8月の家族たち」
劇場で映画「ソロモンの偽証」前後編
今年度映画監督新人賞「ぼんとリンちゃん」(小林啓一監督)
舞台「禁断の裸体」(演出・三浦大輔)

映画「ソロモンの偽証」は、「461個のありがとう」で登生役を演じてくれた、望月歩くんが出演しているので、見に行った。

映画が始まってすぐに望月くん演じる柏木くんは死んでしまう。
ストーリーは、この、柏木くんの死の謎を廻って進んでいく。
自殺なのか、他殺なのか。誰が、柏木くんを殺したのか。

かようなストーリーなんだけど、あの愛らしい望月くんが死んでしまっている、ということにショックを受ける。受け続ける。
フィクションであるとわかっているし、死んだのは「役」であるのに、とても悲しい。
不思議なことだ。

なので、どうしても柏木くん(=望月くん)に思い入れが深くなる。

誰が、あんなかわいいコを殺したんだよ!という怒りによって、映画を見ていく。

前編は事件で、後編が裁判で、すべての謎があきらかになる、という構成である。

が、しかし。

裁判で明らかになるのは、柏木くんは自殺か他殺か、であり、柏木くんの内面への掘り下げはほとんどなかった。

彼の周囲の人々はわりとていねいに描かれていたが、柏木くんについてはなぞのままだった。

このキャラクターが、「461個のありがとう」で演じた役と全く違うので(当たり前だけど)、そのギャップを楽しみつつも、不思議な気分で見ていた。

作品を、俳優そのもので見るのは禁じ手だ。

望月くんとして見るのではなく、「柏木くん」として見なくてはいけない。フィクションの基本である。

そんなことわかっているつもりだし、普段は知り合いの俳優さんが出てもそうは思わないのに、今回はとても気になった。彼をいまだ、登生くんとして見てしまうのだった。

映画のなかではとても濃い時感が流れていた。

そして、今日みた、「ぼんとリンちゃん」は、新鮮な作品だった。

流れている空気が全然ちがうの。

いや、そうでもないかな。

世界は自分たちの知らない間にどんどん変わっているなーと思った。


「ぼんとリンちゃん」については後日、詳しく感想を書きたいな。