そんなわけで、ほんの4日前に、父を亡くしたわけであるが、この世の配分により、なにかをなくすと、なにかが与えられたりするものだ。
4月にもちょっとしたイタイ出来事があって、たぶん、ひとつの関係が失われたのだが、月が変わって、5月に肉親もひとり去った。が、ここへきて、新しい関係の始まりもある。
ふうん。そういうふうにできている、と考えようと思う。
昨晩は、鈴木剛介氏の「THE ANSWER」を読んだ。ちょっと眠れなかったので、ぱらぱらめくるつもりだったのに、夜を徹して一気読みだった。
読んでいる間中、体が踊って、元気がもどってきた。
「そうだよ、そうだよ」と声に出していたかもしれない。ちょっと見、難解そうに見えるし、書評(表紙に巻き付けてある感想文)の一部には否定的なものもあったり、著者本人も「わかりにくさ」や「わかってもらえなさ」を本文中で何度も嘆いていらしたけど、私には、とても明快でシンプルな小説だった。
っていうかさ、こういうのを小説っていうんでしょう。哲学をモチーフにしているけど、これはあくまで小説だと思った。なぜなら、作者の、といって悪ければ、主人公の顔が見えるから。哲学する主人公を描いた立派な小説なのだ。
すべてのできごとは、「決める」ことで解決できる、というシンプルな論法は、実は私も前から感じていたことなので、すんなり入ってきた。以前、川上弘美氏も「恋愛とは、このひとを好きになると決めることだ」みたいなことをどこかに書いていたように記憶している。
最初に言葉がある、というのも真実だと思う。
私が最近、一番、感じているのは、「愛という言葉のワナ」である。
「愛があれば、なんとかなる」とか、「愛こそすべて」という言説は、愛がないとすべてがお仕舞いになり、愛を得られないと、生きる希望がなくなる、という面を持っている。
しかし、「愛」なんてしょせん抽象概念であり、愛なんてなくてもご飯と空気と水があれば人は生きて行けるのであって、「愛」にばかり期待すると、愛の難民を生むと思うのだ。
ひとは愛なんてなくても生きていけるし、愛なんてもんは、本を売るために作家が考えだした、都合のよいコトバにずぎない、って誰かが言わなくっちゃ。ってことで、私は言っているのだった。
あれ。
去る者と来る者というテーマとずれたかな。
このようにして、いろんなひとや本の力を借りて、日々、悲しみから立ち直って行くのだった。
(って、こじつけ?)