山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

旅に出るのはなぜ?



写真は、笑顔のミニとその奥で、夏ばて気味のカナ。(本文にはたぶん関係ありません)

ここのところ、東南アジアへの旅モノをいくつか読んだ。椎名誠「怪しい探検隊・バリ横恋慕」(98年刊)、ゲッツ板谷「タイ怪人紀行」(98年刊)、中島らも「水に似た感情」(96年刊)、「海の漂泊民族バジャウ」(ミルダ・ドリューケ著・03年刊)の以上四冊。

猿岩石が、世界中(だったか?)をバックパッカーのように旅をしたのが、いつの頃だったか忘れたけど、若者が自分探しに、海外にバックパックひとつで出かける・・というのは、すでに全然珍しいことではない。ので、読む方も見る方も(テレビの場合ね)、慣れてしまって、たいていのことでは驚かない。

中島らもさんの「水に似た感情は」テレビのロケで、バリに行く話。占い師にあったり、ガムラン音楽のミュージシャンに出会ったりする。麻薬にはまる以外では、特別、びっくりする体験もない。(もちろん、小説だからいいんだけど)。椎名誠さんの「怪しい探検隊」にしても、高級ホテルに泊まるし、神の山と呼ばれるアグン山に登ったりするけど、基本的に、移動は運転手つきの車だし、キャンプをするにしても、きちんと道具は持っているし、怪しいところもないし、探検というほどの出来事もない。やろうと思えば、普通の庶民も体験できる旅だ。

そこいくと、ゲッツ板谷さんの「タイ怪人紀行」はもう少し踏み込んでいる。麻薬厚生施設を訪れて、患者が飲むクスリを飲んでみたり、バンコックのゲイの売春宿にでかけたりと、わりかとディープ。しかし、これでさえ、行く気になれば、行けるものである。やはり、これらすべての旅モノは、現地を案内してくれるコーディネーター(と、テレビ業界では呼ぶ)がつき、出版社もしくはテレビ局から予算が出て、決まった期間に決まったルートを行くものである。もちろん、パック旅行に比べたら、現地のひととのふれあいあり、自分で宿を探す醍醐味ありで、それなりにハードなものだと思う。

けど、「海の漂泊民族バジャウ」を読んでしまうと、これらの旅ものがふっとんでしまう。著者は、ドイツ人の女性だけど、売れっ子カメラマンの仕事をやめ、ヨットを買って、世界一周に飛び立つ。その後、インドネシアに海を漂泊している民族がいると知り、彼らに会うために、再び旅にでる。その準備が半端ではない。まず、インドネシア語をマスターする。(三ヶ月くらいかけて)。そして、インドネシアに着いてからは、バジャウを探して、各地をめぐるんだけど、地元のひとの家に泊めてもらい、一緒に料理して、一緒に暮らしてしまう。すでに、旅というより暮らしに近いんだけど。そうまでして、なぜ、海の上にいたいのかを作者は常に問いかけながら、数ヶ月滞在するんだ。

旅モノの範疇を出ているけど、これくらい飛び込んでもらわないと、屋台で隣り合ったひととビール飲んで盛り上がったくらいのエピソードだと、びっくりしないよな。

あ、そうか。「水に似た感情」「怪しい探検隊」は、旅モノというより、旅にいっしょにでかけたメンバーとの内輪話で楽しむ本だったのだ。「タイ怪人紀行」は、裏社会巡りといった感じ。これらに比して、「バジャウ」は、対象にまっすぐ斬り込んでいるのだった。かけた時間がちがうのだから、読み応えも違うのは当然かな。

けど。
ヒトはなぜ、旅にでるのかしら。そして、神秘的な場所に惹かれるのかしら・・という思は共通だった。ちがう自分になりたいのかなあ。