山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

秋の終わり、冬の予感



落ち葉のなかのミニさん。久しぶりに、太陽のある時間にお散歩に行きました。
太陽のひかり、朝の空気は気持ちがいいな~とミニが言ったとか言わないとか。



撮影したひと(=私)の影、映りすぎ!

クンデラの「笑いと忘却の書」を読んでいます。ものすご~く面白くて、傑作であります。しかし、時代の荒波…もあるかもしれない。これは、79年にフランスで出版されたものです。

全編通して、鋭いセリフが多すぎるので、毎回ひやひやしながら読んでいるのですが、例えば、こんなの。

10代の女子と中年の女好きの男(=主人公?)との会話。当時は、フリーセックスの時代で、トップレスが流行っていた。それを喜ぶ中年男に対して、10代の少女は、女性たちがトップレスにするのは、それが自由で好きだからであり、男を楽しませるためではない…。そういう時代はもう終わったのだと。
「わたし、だれのセックスの対象にもならないわ」と少女が言う。すると、
「セックスの対象にならないってことが、どんなにやさしいものか、わかっておられたらねえ」
と、彼はそっと口にする。

うわーなんと辛らつなやりとりなんだろう。そう、女なら誰でもがその対象になるわけでもない…という真実を言ってしまったりする。うう。

けど、時代のずれを感じたのは、「レイプはエロティシズムのうちに含まれる」というもの。その理由のひとつに、多くの女性が、合意していても、その最中に「いや、いや」と言うからだと言う。つまり、「いやがる」というのが、エロティシズムの内側にある…と言っているようだ。これはたぶん、終わってしまっただろうなー。もう、「いや」という女性は少ないんじゃないか。(調査していないからわからないけど。実感としてね)。

なぜなら、今の若い男子って、女子が「いや」と言ったら、「ごめん」と言ってやめるひとが多数派だろうと思うからだ。79年頃の若者とそこらへんはだいぶ隔たりがあると思う。生まれたときからなんでもありだった世代にとって、「いや」と言われてまで、先に進む必要なんかないのだと思う。

しかし、そういう部分をのぞいても、いや、このくだりも充分面白いんだけど、クンデラってやっぱりすごいなー。30年前の小説なのに、ものすごく新鮮で全然古びていない。人間が変わっていない…とも言えるかもしれないけど、あるいは、先取りだったのか。そして、いつも思うことだけど、

「小説って自由だなあ」ということ。

決まりごとはないんだ。なんて自由なメディアなんだ!

そんな土曜日。夕方から、喪服を買いに渋谷に行きました。