山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

人生、最後の仕事

六本木ヒルズのツタヤによく行きます。

レンタルビデオ/DVDを借りたり、返したりした後、隣の24時間営業のフードショーで食料品を買う、というのが、昼夜が逆転したままの、私の生活を支えてくれてます。

で、時々、一階の本屋部分も覗く。
ここは、普通の本屋さんではないので、雑誌はたんまり立ち読み、座り読み、スタバのカフェモカ飲みながら読みもできますので、いつでも少年少女が群がっています。
品揃えもしっかり。

しかし、書籍の方はというと、写真集や洋書や、なんだか「雰囲気モン」「飾っといて自慢するための本」「料理本」みたいなものしか置いてないので、あえて、本を見ることはない。

が、たまたま、村上龍巨匠の「13歳のハローワーク」が立ち読み用に放置されていたので、じゃなくて、平積みされていたので、手に取りました。

いつか忘れたけど、この本、結構なベストセラーでしたよね。当時、すでに13歳を過ぎていたので、購入することも、きちんと立ち読みすることもなく、年月が過ぎました。

目の前にその本が。
開いてみることに。なぜなら、この本が話題であったとき、枡野浩一さん(歌人/作家)が
こんなことを書いていらしたからです。
(朝日新聞だったと思います。内容は記憶に従ったものであり、文章は、原文とは違います)

「13歳のハローワーク」によれば、「小説家/作家」は、最後の職業とされている。いろんな職業を経験したひとが、たどり着く最後の職業で、作家とは、すべての仕事の「上がり」みたいなもの。そんなふうに、村上さんは書いているけど、この世に「最後の職業」なんてないと思う。少なくとも、自分は、自分の子供に、最後の職業なんてないから、作家になってもやめていいし、別の仕事だって見つけられるよ、と言ってあげたいと。

こんな主旨であったと思います。
これを読んで、ほほう、なるほど、と感心した記憶があったので、すぐに、なりたい職業「小説家/作家」の欄を探しました。

確かに、枡野さんが指摘されたようなことも書いてありました。
そりゃあ、村上龍さんのような作家になれたら、最後の仕事かもしれないけど、少なくとも私如きでは、そんな優雅なこと、言ってられないし、文章として、
「小説家っつのは、人生最後の仕事なんだよ」っていうのは、ちょっとかっこよさそうに響きますけど、でも、よく考えると、何言ってんのか、わからない、という気分になります。

続いて、「小説家/作家」向きの特性については以下のような記述が。

本や文章を読むのが好きで、自分でも文章や物語を書くのが好きな人が、
作家に向いています。

まあ、真っ当なご意見です。当然とも言えましょう。
しかし、これだけではありません。
さすがに、村上龍さんです。時代に敏です。

文章を書くのが好き、得意というのは、
インターネットの書き込みが好き、というのとは違います。
誤解しないようにみたいなことが書いてあった。

辛辣。
ネットやメールをよく利用するからって、文章がうまくなる、物語を作れる
ってこととは別だと。

私もこの意見に深く納得したのですが、「電車男」も出版され、売れるし、「DEEP LOVE」などの例もありますからね。
(少なくとも「電車男」は小説じゃないけど)

かのワタヤりさちゃんだって、大学に入るまで、携帯電話もっていなかったそうだし。

そういうものと、小説はやはり、違うところで生まれ育ち、愛されたり、捨てられたりしているように思います。

最後に、「人生最後の仕事」について。
そりゃ、いろんな仕事を経験した後、作家になったほうが、引き出しがたくさんあっていいと思うけど、「作家」で上がり、とはやはり思えないです。

私が10代の時、大変な人気で芥川賞受賞作家でもあったS氏は、地方の大学で大学教授として、生活されてます。
時々は小説を書かれているそうですが、出版のめどはなかなか立たず、公務員の給料が主な生活費だそうです。

こういう場合、作家は最後の職業って言えないと思うし。
この件は、枡野浩一さんに同意するのでした。