山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

エッセイ「あるきかがたがただしくない」

枡野浩一さんのエッセイ「あるきかたがただしくない」(朝日新聞社)を読んでました。

ツイッターで、枡野さんと知りあって…っていうのかな、(面識はないです)、自分の映画を見に来てくださったので、エッセイを読んでみました。2005年に発売されたものですから、語られている内容は今とはちがっているとは思うけれども、生きる姿勢などはきっと変わられていないことでしょう。

なかに、「パラレル」という長嶋有さんの小説について書いた部分があります。枡野さんは、「パラレル」を書評で繰り返し、絶賛していたそうです。それについて、こう書いています。

「友達だから「パラレル」を絶賛したのではなく、絶賛したくなるような小説を書くひとだから友達になったのだ」という当然の事実だ。

さらにこう続く。

「仲間褒め」と思われるのが必至の状況ですけど、私は友達や配偶者の創作物に対して常に正直な感想を伝えては、友達も配偶者も失ってきた馬鹿のつく男だ。

(抜萃ここまで)

なんて、潔い方でありましょうか。書かれているように、「仲間褒め」ってやつはあります。お互い褒め合っていうこってことです。ビジネス風に、言えば、ウイウインの関係ですね。狭い世界です。けなしたら、すぐ、自分に戻ってくるし。偉いひとの作品、友人の作品に辛らつになるのは、厳しいことです。

でも、そんなことは断固としてしないとおっしゃる。創作者とはこうありたいものだ。

そして、ちょっこり嬉しくなりました。自分の映画についても、ブログに書いてくれてましたが、それはもう、すっかり正直な意見ってことですね。そもそも、面識もない、私の映画を褒める必要ないんだから。…なんだ、自分の自慢かよ…ってこと書いてますね、自分。失礼しました。

正直すぎるエッセイであることと、文章がひきしまっていて、美しいことを感じました。自分もそうなんですけど、ブログ文体といいますか、小説ですら、話し言葉みたいにだらだら書くひとが増えるなか、枡野さんは、シンプルなのに、文章までもが潔い。ちょっと反省しました。自分ももっと文章を磨かねば…というより、だらだら書くのやめないとね。

ブログばかり書いていると、つい、そうなってしまう。大丈夫かな…。

自分も本当はつまらないと思ったものを「面白かった」とは書きません。いいところを探して書きますけれどもね。

明日は、打ち合わせに行ったり、イベントに行ったり、友人と会ったりする予定です。久しぶりに一日じゅう、外出なので、雨は降らないでほしいです。