山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ある日、突然、恋愛が。

ある日、突然、恋愛がわからなくなってしまった。恋愛ってなんのことだっけ?というような感じで、今まで恋愛と信じてきたもの、信じてきた感覚が、急におぼろげになってきた。

確かに、長い長い人生で(そんなに長くないか)、恋愛にかこつけてきたような、いろいろあったような、ないような気がしていたけど、いったい、なにをもって、恋愛といい、何をもって、ひとを好きというのか、自信がなくなった。

なぜかっていうと、自分は、恋愛に溺れた~って感覚はあったとしても、なんかこう、まっとうな幸福感に満たされたことがなかったのではないか、とハタと気づいたのでした。こんな年齢になって、なにを今さら言っているのだろうと思うけど、気づいてしまったものはしかたない。

そっかあ、だから、私は純愛モノと呼ばれるジャンルの映画でも小説でも、ほとんど共感できなかったのだった。OSがそもそも違っていたわけだ。もしや、あっちの純愛ってやつが恋愛らしきものだったとすると、これまで私が恋愛と信じてやってきたことはなんだったのか。

「地球ではそれを愛って呼ぶんだよ、宇宙では知らないけどね」って映画「ランドリー」のなかで、一度ジャンプした俳優さんがあまく語るセリフにあったけど、そっか、私がやってきたことは、「地球ではそれを、恋愛って呼ばないんだよ、あなたの頭のなかでは知らないけどね」ってことなのか。

前に二股かけられてた男の家に、相手の女を誘って、押しかけたことがあった。(なんて、物騒なことをしてきたんだよ)その時にさあ、相手の女がさあ、すごく激昂して「あなたは、ひとを本当に愛したことがあるの!」って男に迫ってた。

もちろん、私も取り乱していたけど(おう、この一連のバカっぱなしは小説に昇華させましたので、いずれ、フルバージョンでお読みいただくことができますが)、その時、私が感じたのは、あら、このひと(女)は、ひとを本当に愛したことがあるんだ、自信満々だなあと思ってました。

基本的にこれらの「愛」を巡るセリフに実感をもてないわけです。愛に近い感情をもっとも感じるのは犬だけだなあ。ヒトに対して邪な気持ちがどうしても入り込んで、キラキラひかるような、切ない感じに本質的にはなれない。愛に酔えない。

かといって、誰かをいいな~好きだな~という感情はある。強くある、すぐある。が、それって恋愛なの?それでいいの?ひとりのひとをずっと思ってました、っていうのが、一番できないし。いろんなひとをずっとだったり、時々だったり、思ってました、ならわかる。ある期間ならひとりだけでも集中できる。けど、生涯とか永遠なんて、絶対言えない。

と、こういう話になると、「できないからこそ、憧れるのだ」って言うひとがいるけど、なんで憧れないといけないの?生涯ひとりだけなんてつまらなそうで、憧れないんじゃなか、普通。

ダメだ。恋愛小説に似たものを書こうとしたら、混乱してしまった。全然わからないの。ひとを憎むことはわかっても、愛する感じがわからない。そっか、だからわたしは「あなたは愛のわからないかわいそうなひと」なんだ。(前に、そう言われたことがあったのだ)
すみません、混乱中。