山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

濃密な関係

テレビ東京でやってた「熟年結婚」というドラマをちょっとだけ見た。
最愛の妻に先立たれた男(堺正章)と、シングルマザーの中年女性(高橋恵子・離婚か死別かは途中から見たのでよくわからなかった)が、まあ、いろいろあって結婚する話だった。なかで、男性側の娘が、年老いた父親の恋愛に反対するシーンがある。亡くなった母がかわいそう・・というものである。娘にしてみれば、当然かもしれない。しかし、ひとりっぼっちになってしまった男が別の女性を捜すのは例え、妻をどんなに愛していたとしても仕方のないことだと思った。いや、愛していたからこそ、別の女性を捜すのではないか。

純愛とか唯一の恋みたいなものに水をさすようだけど、それはようするに、ひとりの異性と濃密な関係を築くことである。この世に自分たちだけ!みたいな感覚を持つこと。だから、相手を失ったとき、ひとりではいられなくなる。ので、前のひととの関係が濃密であればあるほど、次のひとを必要とするのだと思う。必要なのは、「唯一無二の相手」ではなく、「唯一無二な濃密な関係」を持てる相手なのだ。

知り合いでも、最愛の妻を亡くし、悲嘆にくれていたひとが、わずか一年で再婚した男性がいる。最初の半年は、もぬけの殻のようになり、葬式もせず、お墓も作らずにいた。どうにかなってしまいそうだったが、あっさり再婚してしまった。妻を亡くしてあまりにつらくて、ひとりでいることができなかったんだと思う。かえって、ずっとひとりでやってきたひとや、結婚や恋愛をしても、それほど強烈な関係築かないで、さっぱりしているひとたちが、相手を亡くしても、そこそこ平穏にやっていくのではないか。

周りでもずっと結婚しないひとがいるが、こういうひとたちは、異性との濃密な関係を築くより、自分だけの確立した世界で自由にしていることを好むように思う。これはもう、どっちがいいとか悪いとかの問題ではなく、習慣のお話だ。ひとと濃密な関係を築きやすいひと=精神医学だったかではメランコリー親和タイプとかいうのかな=は、「恋多きひと」などと言われてしまうわけだけど、簡単に言ってしまえば、「さびしがりやさん」ってことではないかしら。ひとりではいられない。

ひとさまの唯一の恋や純愛を、「さびしがりや」で片付けるな!と青筋たてないでね。実は、自分のことだから、よおおくわかるのでした。わかった上で、冷水をかけたいんですね、自分に。この世には、火に薪をくべるひとが多いけど、水をかけてさましたあとで、駆け落ちしてほしいのね。俯瞰でみるとみっともないことしてるわけだから・・とこんな私でも思うのでした。

一応、これがオチってことで?