山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

少女魂など。

ひとには、年齢に関係なく、自分にぴったりくる時期ってもんがあるかもしれない。
例えば、いくつになっても、子供っぽさが残るひと、若い頃からおばちゃん感覚のひとなどがいる。なんでこんなことを言い出すかといえば、友人の女性が「少女魂」を持っていると言ったことから始まる。少女魂とは、いくつになっても少女の心意気を持つことである。外見や年齢は関係ない。

「少女」っていうと、すけべ系オヤジはよだれを流しそうだけど、少女魂をもったひとが、かならずしも、宮崎あおいちゃんのようであるわけではない。あくまで、精神のレベルの話である。彼女たちは、自己完結した、批評精神の強い感覚をもっているのだ。例えば、かわいいものが好き。この場合、自分にとってかわいいと思えるもののことで、他人の評価や世間の評価は関係ない。だからブランドもんにも食指を動かされないし、男の視線を気にしての「かわいらしさ」追求はしない。よって、リアルな恋愛に耽溺しない。ひとりですくっとたち、完結しちゃっているのである。

20代ともなれば、恋愛のひとつふたつもするだろうが、元々、恋人より自分が大事だから、恋愛体質にはなりにくい。よって、結婚しなかったり、母にならなかったりするひとが多いようだ。出版界、テレビ界の女性に結構いるぞ、少女魂をもったひと。独自の世界を紡ぎ出すので、クリエーター向きでもある。

一方、若い頃からおばちゃん感覚のひともいるだろう。友人ですごい美人だけど、内面はおばちゃん、もしくはおっさんなひとがいる。仕事が終わると、牛丼やにひとりででかけ、牛皿をつまみにビールなどを飲んでいる。誕生日にバラの花束をもらっても、あっという間に枯らしてしまう。オヤジギャグを連発し、口説いてくる男を笑い飛ばす。この手の女性も、適齢期になだれ込んで結婚しないと、そのまま独身だったりする。

他には、妻体質、母気質、そして、もちろん、根っから「女」のひとなどがいるだろう。これまで、女の人は、社会から役割を決められる一方だったから、細分化しにくかったけど、自由になった今、それぞれの身の丈にあった生き方を選択できるようになったのだなあと思う。

少女魂の友人の話を聞いていて、自分もかつては少女だったし、少女魂を持っていたこともあったように思うけど、すっかりなくしちまったな。自分は、妻も母も向いてないし、かといって、おばちゃん感覚だ!と宣言できるだけの根性がない。おばあちゃんなんて、とてもとても。悟りにはほど遠く、業が深くってねえ。

そういうカテゴリーでひとびとを見てみると面白い。友人の映画プロデューサーは男性だけど、少女魂を持っている。妻子を持った今も、少女漫画が大好きで、好きな原作漫画を映画化することに残りの人生を賭けている。なんかさー、だんだん、自分本来の姿を取り戻していくのよね、これくらいの年齢になると。

少女魂を持ったひとたちの、気分年齢は、14歳くらいじゃないかな。いつまでも14歳の感覚が基本になっているのだ。じゃ、自分は?っていうと、ぴったりくるのは、30代半ばくらい。20代のお祭り騒ぎの終わった後の、でも、まだ、女のひととして、ウジウジしている時代。そういう気分がずっと続いているような気がする。ま、カテゴリーでいうと、「女」くくりなんだけどさ。(これ、認めるの、恥ずかしいし、なんかヤだけど)

そんなわけで、自分にあった気分の年齢でいけばいいやと思った次第。これって、究極のアンチエイジングじゃないかしら。自分の年齢は自分で決めるってこと。少女はいくつになってもギンガムチェックのスカートをはき、女はピンヒールが手放せず、おばちゃんは、スッピンでどこへでも行くのだ。なんてね。