山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

そんなに結婚したいのか。

アエラの今週号に「40歳からの出会い方」という特集があって、40歳前後で結婚を急ぐ女性たちの記事が載っていた。確かに、40歳の壁を超えるとぐっとこう、『女扱い」される機会が減る。周囲の目もそれまでとは違ってくる。自分自身も疲れるし、もう、女も終わりだな~感が漂うのはわからなくはない。(この感覚って、男にはわかんないだろうなあ)

けど。
だから、結婚なのかしら。いろんなタイプの女性がお見合いサービスだの、出会い系サイトだので結婚相手を見つけた話が報告されているんだけど、なかで一番、ムカついたのは、十代ではモデルを経験、受付嬢を経て、ちっぽけな会社経営をしている女性。彼女は結婚相手の条件を年収1200万円以上と決め、相手の容姿は問わずで、見合いサービスで医者と結婚した、とある。

でもって、「結婚する」に目標を絞って、会社経営もやめちゃっていろいろ整理したという。ここで私がヒドイヒドイと思ったのは、(毎度ですが)結婚相手のマンションがペット禁止だったから、7年間飼ったチワワ2匹を手放したってこと。ひどいでしょう。7年も飼った2匹の犬を自分の欲望のために手放すなんて。だいたい、手放すってなんだろう。捨てたってことではないか、保健所に引き取ってもらって、ガス室で殺させたってことではないか。

そんな女、信用できるか。今、結婚した相手だって、次の目標のためには、ガス室に送り込むかもしれないのよ。(って犬問題にはあつくなる)私が相手の医者だったら、それだけでこんなひとはごめんだ。(ちょっと美人だからってだまされるか)っていうより、恥がないのか。「充分遊んだから、結婚して子供でも生む」とか言ってるんですよ。やだな~。

要するに、容貌が衰えてきて、今までのような扱いを受けられなくなると知り、(特に美人だったひとは、この扱いの差に敏感ですからね)、お金持ちの男を一人確保したいってことでしょう。そこには愛もへったくれもないのだ。ものすごく古い価値観での合法的売春だよね。

ひと昔前はこの壁が30歳くらいだったんだと思う。今はそれが40歳に伸びたのね。そういう年齢で焦って結婚するひとって嫌いだ。結婚して楽になるって発想が汚れてるよ。いえ、別にひとそれぞれだから自由なんだけど。

今日、飲んでた緒方明監督の映画「いつか読書する日」の主人公は、50歳で(推定)バージンで、独身でスーパーのレジだぞ。でも、すっきり生きてる。

ったく。犬を捨ててまで結婚する汚れ女よ、君にはわかるまい。

チワワの行方が気になる。