山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「トルソ」

少し前になるけれども、渋谷で、映画「トルソ」を見ました。今日は、その感想です。

監督は、是枝裕和監督の「誰も知らない」「歩いても歩いても」などの撮影をされた山崎裕さんです。カメラマンから監督へ…というのは、「剣岳」の木村大作さんや、「セックスと嘘とビデオテープ」のソダーバーグさんらがいらっしゃいます。やはり、カメラマンならではの作品になるような気がします。

どういうことかといえば、セリフではなく、極力映像の力で表現する…ってことでしょうか。

主演は、渡辺真起子さん。30代の地味な暮らしをするOLの役です。恋愛に距離を置き、友人から合コンの誘いを受けても行かず、家に帰って、料理をして、手芸をして、地味に暮らしています。そこへ、姉とは正反対の性格の妹がやってきます。安藤サクラちゃんが演じています。妹の出現によって、少しずつ変わっていく姉の生活。その経過をドキュメンタリーのように、淡々と描いていきます。

特に劇的なことは何も起こらない生活。かつては、デザイナーになる夢を持っていたようだけど、今は諦め、趣味で手芸をすることで満足している。恋愛もかつてはしたようだけど、今は、自分から求めることはない。そんな彼女の空白を埋めるのが、「トルソ」である。

頭部のない、上半身のひとがた。主人公はこのトルソを持っていて、まるで恋人のように扱っている。言葉は悪いけれども、女性用ダッチワイフ…ならぬハズバンドってことになります。なので、ちょっときわどいシーンもあります。

しかし、外部に多くを求めない…と決めたひとが、ヒトガタにその代用を求めるのは、案外、自然のように思えた。自然…というより、今風といおうか。その対象がヒトガタであると、ちょっとスキャンダラスに思えるけれども、わかりやすいバイブレーターではない。逆にバイブレーターのほうが、意味がはっきりする。明らかに性的な目的のために作られているから。

でも、主人公は、トルソをお風呂に入れたり、海に連れて行ったりするのだ。単なる性的な対象ではないのだ。外に連れて行くというのを除けば、密室で自分だけの対象に気を許し、執心するという行為は、PC上でできるあらゆることに似ている。

例えば、恋人ゲーム。二次元の恋人。多くのひとが、自分のわがままをきいてくれる、架空の存在に救われているのが、今という時代じゃないかな。そう思って見ると、主人公がトルソを愛して、ていねいに扱う心理がちっとも特異には見えない。

もう、外部に、他人に期待しないで生きていきたい…それって、多くのシングルが考えていることじゃないかな。

しかし、主人公は、妹の出現により、それまで疎遠だった人物たちとの関係を修復し始めるのだ。引きこもりの青年が外部に向かって、一歩踏み出すように。

非常に前向きな作品だと思った。そして、男性の影が薄い。中心に描かれるのは、この姉妹と姉妹の母、姉妹から男を奪う女子たちだ。男性は背景のようにしか出てこない。監督は、熟年の男性であるけれども、なぜ、そこまで、女性たちの世界を描こうとしたんだろうか。ちょっと興味をそそられた。まるで、「男なんて、無意味だよ」って言っているみたい?

いやいや、最後には、その気持ちを覆すことになるから、「男たちは待っています」ってことなのかな。恋愛はもういいや、静かに暮らしたい…と思っている女性たちを励ます作品。

渋谷のユーロスペースにて、レイトショー中です。

渡辺真起子さんと安藤サクラさんは、ともに、自分の映画でも重要な役をやってくれた、超魅力てきな女優さんです。大好きじゃ。