山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

プロレス、妊娠、エコー写真、

WOWOWで「お父さんのバックドロップ」という映画を見る。思わず、泣いてしまう。カメラと技術が友達っていうか知り合いだった。おう、金谷ちゃん(CA)さすが。プロレス映画の王道なんだけど、しびれた。役者、みんなすこぶるうまかった。特に主演の宇梶剛士が抜群によかった。すげえ。

今朝は一睡もしないで胃カメラを飲みに行く。
10年くらい前にも飲んだことがあって、楽勝だったので、気楽にでかけた。そしたら大間違い。
前の病院は、麻酔がきつかったのか、殆ど眠っている間に終わってしまった。

ところが、本日お訪ねの病院では、のど元にしか麻酔かけないのか、管をぐるぐる入れられた時、死ぬかと思った。医者も「あれ、麻酔効いてないの?」なんて聞くけど、もとより、口に管を入れられている身、答えられるわけないじゃん。

呼吸困難で死にかけながら、「胃カメラ飲んで死んだ」って話は聞いたことがないんだから、死ぬわけはない。さっきから次々と患者が胃カメラ飲んでいるんだし、それらの患者のなかでは、もっとも私が若かったのだし、と自分を励ましながら、涙ぽろぽろ流す。苦しくて。

おまけに、医者が「おお、これは」とかいって、胃カメラをかき回すから、「ああ、きっとへんなもんが見つかったんだ~」と絶望する。思えば、短い人生だった。たった2冊、本出しただけかよと、この期におよんでも、みじめったらしいことを考えていた。

命からがらの胃カメラが終わり、診断を聞くと、「すごくきれいです」と言われる。もちろん、私の「胃」のことだな、顔じゃなくて。なあんだ、きれいなんじゃん。一緒に写真を見ると確かにきれい。うすピンクのトンネルが延々つながり、つるつる光っている。本人の外見よりよほど、若々しい。内臓を引っくり返して生きていこうかと思う。

しかし、この一か月具合が悪かったのは事実だから、胃壁はきれいでも、ピロリ菌がいて、悪さをしていたのかもしれず、その結果はまた来週。医者は、「なんかストレスじゃないすか」的な、「あなたが思うほど、身体的には全然悪くないんですけど、つまりその、気のせいちゃいますか」という、やや侮蔑の口調が混じって来る。 「全身、脱力して、体力がないんです」と憮然として訴えながら、考えてみると、一睡もせずに胃カメラ飲んでるから、眠いだけか?という自分に対する根源的な疑問も湧く。そういえば、いつも具合悪くて病院行くと、たいていどこも悪くないって言われるんだよなあ、などと思い出している。
自分は「弱い」のか。という疑問が。

しかし、あまりに私がぐったりしているので、腹部エコーをかけることになる。医者に「エコーやったことあります?」と聞かれ、思わず「はい」と答える。「妊娠したときに」と言ってしまってから、あわてて「犬が」と付け加える。 

確かにうちの犬が妊娠した時に、腹部エコーをかけて、まだ子犬になる前の8頭の姿を見たんだ。あの時はうれしくて、犬の腹部エコーの写真をもらって(よくヒトの母親がやるように)持ち歩いていたのだ。そして、誰彼かまわずその写真を見せて、「バカじゃないか」と思われたこともついでに思い出した。

しかし、時遅く、「犬の?」と言ったまま、医者は凍りついている。まずい。このままじゃ、単なるオーバーなひとから、ちょっとおかしい人にバージョンアップされてしまう。慌てて「あ、いえ、なんでもないです。自分はやったことありません」と答える。医者もそれ以上、深追いせず、「じゃ、看護士さんから説明聞いて下さいね」と冷静であった。

そんなわけで、命からがらの胃カメラ。今もまだ、管が身体の中を通っているような違和感がある。のどなんか特に。こういうのも「気のせい」で「大げさ」なのかな。

まあ、基本的に「カナリア」体質なのでしょうがないよね。ほら、いわゆる炭坑のカナリアです。小さな違和感に心も身体もすぐに反応して、鳴いたり死んだりするんです。面倒な生き物だ。

アマゾンから桐野夏生さんの「ダーク」と「残虐記」と天外伺朗氏の「運命の法則」という本が届く。さっそく、「運命の法則」読了。ふうむ。

しかし、まだ、胃がいたい。