山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

内臓カナリア。

日記の日付が一日ずれているんだけど、しょうがないね。

昨日は、胃カメラを飲みました。最近は鼻からいれるものも出ているそうで、選択の余地はあったんだけど、鼻のほうが粘膜痛そうな気がして、いつも通り口から飲むほうにしました。それでも、胃カメラってほんと気持ち悪い。自分の行ってる病院は、麻酔をしないので、とても苦しい。以前、通ったところは、麻酔をして、眠っているうちに胃のなかを見られるということでしたが、まあ、麻酔はできるだけしないほうがいいのかもしれないから、多少つらくてもしようがないのか。このほか、腹部エコーっつうのもやりました。

お正月以来、ずっと胃付近が痛くて、おかけで集中力は落ちるし、寝てばかりでした。これはきっと、とんでもないことになっているに違いない。だって、こんなに痛いんだもん、と思ってました。するとー、まあ、いつものことなんですけど、まったく問題ありません、と言われる。胃カメラもエコーも血液検査も異常なし。

「ええー。でも、痛いのは事実だし、現に今も痛い」と述べたところ、医師の方は、「ううむ。そんなはずはない」と仰る。「じゃ、なんて痛いんでしょう」とたたみかけると、医師、もう一度胃カメラを見て、「う~ん、胃の入り口付近にちょっとだけ、赤いと言えばいえるようなところがあるから、そこかなー、でも潰瘍でもないし、普通、この程度は痛いと自覚しないはずだ」となんだか、不機嫌に仰る。

そーか、そーか、どうせ、わたしも大げさなんですよーと思い、「わかりました」と本当はわかってないけど、意見を取り下げる。「なんかクスリ出るんでしょうか」と尋ねると、「どこも悪くないひとに出すクスリはない」とのこと。ははーっ。そうなの。

しかし、ヒトとは、あるいは、自分とは、わかりやすい生き物で、「どこも悪くない、痛いはずがない」と言われたら、だんだん、痛くなくなってきたので不思議。まあ、気の問題だったのでしょうか。

しかしですよ、以前に子宮に異常があったときもですね、「子宮の内部が痛いので見てほしい」と言ったところ、婦人科の医師から「子宮には自覚症状がないので、痛いってことはない。べつの部分か、もし、痛いとしたら、相当末期の状態です」と言われた。ぎゃぎゃ、末期かーと覚悟して、詳しい検査をしたら、やはりごく小さい炎症が見つかった。

医師はその写真を見ながら、「普通はこの程度の炎症は自覚できないはずだ」と宣った。ううむ。これまでの診察人生を総合して思うのだけど、自分の内臓はわりと、痛みに対して、敏感だってこと。そんなもんが自慢になるわけはないが、総合すると事実なんだよなー。小さなことで傷つきやすいのは、心理面も同じだから、たぶん、私は、炭鉱のカナリアなんだわ、内臓も大脳も。

だから、こうして、傷つきやすい心に映ったあれこれを書いたり、テレビや映画にしたりして、糊口をしのいでいるのだわ。普通のひとがやりすごせるような発言にもその裏にあるどす黒い思惑などを過剰に察知してしまって、傷ついてしまうのね。かなり古いけど、「ナイトヘッド」のナオヤ(弟のほう)みたい

というわけで、歯医者にも行き、治療が始まり、(こっちは痛いところがちゃんと虫歯になっていた)、胃カメラも飲んではきだしたので、自分メンテナンスは無事終わった。とにかく、あとは働くのみ。書くのみ。

一月よ、まだ終わらないでね。

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