同姓同名っていうのは、面白い。
久しぶりに、自分の名前で検索してみたら、
(はしたないですかしら?でも、本や番組の評判についての書き込みを見るにはこれが一番なわけで、時々やっております)
どうも、山田あかねさんというAV女優さんがいらっしゃるようだ。
ずいぶん前に検索した時には、そういう人はひっかからなかったことを考えると最近デビューされたのだろう。しかもですね、この山田さんの出演作はかなり、過激な様子である。ざっくりタイトルしか見ていないけど、スカトロ系だったりする。
写真その他は見当たらないけど、なかなか複雑な気持ち。AVに関していうとですね、大学生の時には官能小説を書いていたし、テレビの仕事を始めてからは、AVの世界のドキュメントを撮ったこともあるし、(このときは、現場にも行ったし)、さらに、映画監督の友達など、普段はAV撮っているひともいるので、特別な偏見はない。
エロを扱う世界だけど、やっているひとたちはそれぞれに真面目だし、ひとつの仕事なのだし。
しかし、同姓同名のAV女優さんを見つけて思ったことは、それでは私の名前は、なんらかの官能的な響きがあるのか、という問いである。だって、どんな世界でもネーミングは大切なので、みすみす売れない名前はつけまい。本名というのも考えにくいから、なんらかの「ひき」を想定してこの名前を選んだはずだ。
そう思って自分の名前を振り返ると、不思議な気分だよね。それなりに官能的な名前なのね。ふむ。
これはたぶん、よいことなのだと解釈しておこう。
そんなわけで、今日の報告でした。
読書は、今さらかもしれないけど、東浩紀さんの「動物化するポストモダン」。一世を風靡したおタク論です。まだ、途中だけど、面白い。おタクそのものへの言及はともかく、創作物の「二次使用」についての考え方に、興味をもった。
二次使用っていうのは、ひとつの作品をアレンジしたり、コラージュして別の作品をつくること。インターネット時代には、各地ですでにやられている。自分はテレビや本を作っているので、一次制作者であるので、勝手に作品が使われてしまうことに複雑な気持ちはあるけど、一方で、自分だってテレビを作る時、他のひとが撮った過去の映像を使うこともあるので、一概にダメ!とは思えない。そんなことをつらつら考えている。
やっとお正月ボケから抜け出して、そろそろ真っ当に働かねば。
ライブドアのひとも逮捕されてしまって、なんだか騒がしい夜。