山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

眠り続けて。

時差ボケと言えば言えるけど、帰ってから全然、眠れなくて、30時間くらい起きていた。

が、昨夜さすがにやっと眠った。
すると、目が覚めると大女優になっていた・・というのは、かつて習った英語の定例文ですが、目が覚めると夜でした。

時計を見ると、16時間も眠っているじゃないか。
自分の体内時計の壊れ方に、嫌悪を通りこして、惚れ惚れする。
ついでに、その間、トイレにもいかず、ご飯ももらえなくても、主人によりそって眠っていた二頭の犬たちにも。
ほんとにつきあいのいい奴らである。

世界はわたしが眠っている間にも動いていて、老年のコメディアンさんが自殺されたり、
かつてのアイドル歌手が離婚したりしていた。
(って、私には関係ないけど・・いやあるかな、心情的には)

けど、眠っている間に、よき知らせが届いていて、嬉しい。
これが、電話だけが通信手段であった時代には、いろいろ取り逃がしていただろうけど、
メールは全時間、welcomeであるから、私のように、時間にはずれているは、電話は苦手だわ、というひとには、メールさまさまである。

イタリアに行ってる間に新聞をとめていたんだけど、帰ってきてからも、なぜか配達されない。
が、しかし、新聞なくても困んないな~ということを発見。
ニュースはネットで読めるし、テレビはあまり見ないから、ラテ欄なくても大丈夫だし。

もちろん、新聞ならではのちょっとしたネタに触れる機会は減るんだけど、その「ちょっとしたネタ」を仕入れるために、新聞をとり続けるのが、果たしてよいのかと思ってしまう。

新聞のなにが困るって、捨てるのが困る。
広告の量が半端じゃないから、まとめて、ヒモでしばって、地下にあるゴミ収集室に持って行くのが、重労働なのだ。

この作業があまりに憂鬱なため、我が家には新聞の墓場のような場所ができつつあり、あれを一度に運ぶのかと思うとクラクラする。
よく話題になる「捨てられないひと」というのとは違う。生ゴミや普通のゴミは、すぐに捨てないと臭いし、見た目の感じ悪いからすぐ、決意できる。

一方、新聞たちは、じっくり並んでいるだけで、邪魔といえば邪魔だけど、におわないし、
単なる固体だからね。

そのうえ、そろそろ衣替えの季節だ。
うう。新聞すてたり、服を入れ替えたりって面倒~。

いつか、衣替えしなくていいような、大きなクローゼットのある家に住みたいな~。