山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

死にまつわるお仕事

恐縮だけど、まだ、父の死について。
今日でちょうと一週間になるわけだが、はじめてのことばかりで、考えることも多かった。
ひとつは、葬儀やさんについて。

父の葬儀を取り仕切ってくれたのは、大手の葬儀やさんで、担当者は30代半ばくらいの男性だった。真夜中に病院の霊安室にやってきて、名刺交換などをするわけである。

ちょっと関係ないけど、なぜ、あんなに病院の霊安室って、寒々しいのかな。悲しみを増すように作っているとしか、思えない。地下にあるのは仕方ないとしても、壁はグレーだし、全体的にお金かけてませんって感じで、この世の終わり、って気持ちになる。
まあ、運ばれた本人にとってはこの世の終わりだけど、残された人たちはきついよなあ。

私が病院の担当者なら、もっとほっとできる場所、なごめる場所にする。壁もピンクやグリーンなどのパステルにして、照明も蛍光灯ではなく、白熱灯で暖かい感じにして、お香かアロマキャンドルでも炊いて、ほんのりした場所にしたい。だってさ、その少し前に、「死」っていうショックな出来事を経験しているんだもん、少しでもそれをやわらげる配慮がほしいよね。

テーマはやわらかい春の日。ふかふかで座り心地のよいソファを用意して、ラベンダーなどの香りがして、深呼吸できるような。

とまあ、霊安室については、いろいろ文句はあるけど、葬儀屋さんはとても感じのよい、一生懸命な方だった。
こちらは女ばかりの遺族で、初めてのことで戸惑ったし、さらに、普通の葬儀はやりたくないと日頃から父が言っていたこともあって、かなりイレギュラーなことが多かったにも関わらず、根気づよく対応して下さった。

お寺で通夜、告別式をやったけど、そのデザインは私がした。ドラマでセットを決める時みたいに、絵を描いて、説明し、翌日、デザイン画を送ってもらった。普段、仏教に帰依していないのに、仏壇っぽい感じがいやだったのだ。で、白い花だけで周りを囲んでもらった。

せっせとそれを実行に移す姿をみて、ああ、このひとはこれが仕事なのだな、毎日、毎日、ヒトの死に向き合っているのだな、と思ったらしみじみした。
慣れないといけない仕事だろうけど、慣れてしまってもいけないだろう。ひとは毎回、初めて死ぬわけだけど、彼にとっては、「死」は仕事になるのだ。

どうして、葬儀屋さんに?とちょっと聞いてみたい衝動にかられた。普段ならきっと聞いている。が、さすがのテレビや根性もこのときは作動しなかった。というより、忙しくてそんな暇なかったのだ。

彼はまた、今頃もどこかの霊安室にかけつけ、通夜や告別式の段取りを練っていることだろう。仕事そのものは、テレビの収録をしきるADに似ていなくもない。葬儀ってイベントだし。
けどさあ、うまくいったからって、拍手パチパチっていかないところが、絶対的にちがうよね。

けれども、葬儀はとてもつつがなく、そして、暖かいものにできたと思う。これも葬儀やさんのおかげです。ありがとうございました。
(多分、これを読むことなんて万にひとつもないと思うけど、お礼を言っておきたいと思いました)