山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

かわいいのが仕事

職業はなんですかと聞かれて、「かわいい」ことです、と応えるのは、もちろん犬である。
犬は番犬でも使役犬でもなく、もっぱらかわいいことで生き延びてきたのだ。

可愛い部分を進化させ、目はくりくりと、しっぽは嬉しい時フルように、毛並みはやんわりよい感触に、ひとが見ただけで、触っただけで、その「かわいい」魔力にやられてしまうにDNAを書き換えてきたのだ。

もちろん、「かわいい」を商売にしているのは、犬だけではない。テレビにでるアイドルなどもこれがお仕事である。彼女たちがモニターにあらわることができるのは、歌がうまいからでも、芝居がうまいからでもない。単に「かわいい」からだ。

そして、このプロの「かわいい」を生んだのが、テレビだったと思う。例えば、映画はいくらかわいくても芝居が下手だとでられなかった。歌手などもいくらかわいくても、歌が下手だとなれなかった。

ところが、テレビという日常の延長線上のようなメディアが出現して、「なんだかわからないけど、かわいいからみておきたい」という存在がゆるされるようになった。

とはいえ、人間の女子の場合、「かわいい」を一生の仕事にするのはむずかしい。それなりの年齢になれば、キャラクターを+しないと誰も買ってくれないのである。 
「かわいい」だけが売りだと、テレビではそんなにもたないのだ。

これまでのテレビ人生で、何人もの「かわいい」」だけのひとがあっという間に消えていくのを見てきた。

そこをいくと、犬は生涯、「かわいい」の現役である。うちにいる二頭の犬うち、一頭はすでに10歳、人間でいえば60歳近いわけだが、そのかわいらしさは決して失われることはない。

犬は寝ていても、しっぽをふっていても、ご飯を食べていても、粗相をしてすら、かわいい。どれもが目に入れてもいたくないほどかわいく、実際、何度も目に入れてみたが、全然痛くなかった。

なにを延々書いているのかって。そりゃあもう、ひさしぶりに家でじっくり犬と向き合ったら、そのかわいらしさに、新鮮な喜びを感じたからであった。

かわいらしきもの、なんじの名は、犬なり。