山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

韓国における日本文学のあいまいな軽さ

昨年出版した、わたしの初めての小説は、わずか半年で韓国で翻訳発売されました。

有名な作家でも、13歳(!)でもないのに、なぜ、またたくまに、『ベイビーシャワー」は
海を渡ったか。

最初は、韓国でどんなふうに売られているか、仲良しの編集者と一緒に、遊び半分で、韓国に行き、
自分のデジタルカメラで撮影し、その模様を、hp上で放送しようと考えました。

それでもって、韓国の出版エージェントの女性を紹介してもらい、彼女からいろいろ情報を得て、韓国の旅の準備を初めました。

調べるうちにどんどんおもしろい事情がわかってきて、フト、これはちゃんとした番組になるな、とひらめきました。さすがに、20年もテレビ番組をつくっていますから、通る企画はわかります。

企画書を書き、仲良しのプロデューサーに相談しました。三人相談したうち、三人ともがおもしろいから絶対やったほうがいいと言ってくれました。

三人のうちでスケジュールのあったひとりと、テレビ局周りをはじめました。
最初に行ったのが、フジテレビ、つぎに民放2社をまわりました。
フジテレビの理解あるプロデューサーが、すぐにのってくれました。
しかも「とんがったものを作ってください」のひとことをそえて。

普通、テレビでは文学はテーマになりません。なぜなら、視聴率をとらないからです。テレビをみているひとはほとんど本を読まないんですね。

しかし、この企画は通りました。
それからが、また、大変でした。深夜の番組なので、それほど予算はありません。
いろんなことを調整しなければなりませんでした。

カメラマンはどうしても、自分の気持ちをきっちり撮ってくれる信頼できるひとに頼みたかった。
しかし、彼は売れっ子でギャラの高いひとです。それを友情と企画でお願いしました。


コーディネーターもそれまで、わたしのしらべものに延々つきあってくれた、出版エージェントの女性にお願いしました。カメラはデジカム。

ADさんは、ミニ番組でつきあいのあった、映画好きのやはりとんがった女子を誘いました。

こうして、2005年7月、この番組のスタッフが決まりました。

その間に、別件で信じられないようなトラブルに巻き込まれたり、家族の不和につきあったりしながらも、とにかく最善をつくした、その気持ちで働きました。

9月、ロケハン、10月、ロケ、帰国後は、前から約束のあった美術番組をつくりました。休むまもなく、この番組の編集にかかりました。

正味2週間、編集に明け暮れました。しかし、一度もいやだとか、やめたいとかは思わなかった。
ずっと楽しかった。

こんなに自分の思いをストレートに番組にしたことは、たぶん、なかった。

ああ、なんて幸せなんだろうと編集室で椅子を並べて仮眠をとりながら、何度も思いました。

しかも、来週には、2作目の小説「すべては海になる」が発売になります。この二つだけでも、充分、恵まれているのだ、自分はラッキーなのだと思いました。

そんなわけで、ノンフィックスの編集が終わりました。
週末に音楽関係の仕上げをして、完成です。

ぜひ、ご覧ください。

ノンフィックス 韓国における日本文学のあいまいな軽さ

2005年12月4日(日)午前2:40~3:40(つまり土曜の深夜です)

制作  フジテレビ テレコムスタッフ

韓国の文学事情とともに、文学とはなにか。小説とはなにかを、問いかける番組です。