山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ちょい悪オヤジどこに?

土曜日、ロケで銀座に行った。(ことを今さら書くのね)

銀座を歩く、ちょっとおしゃれなひとびとを撮るのが目的だった。
四丁目の交差点でカメラを構えて 被写体になりそうなひとを待った。

女性はすぐに見つかった。
20代~30代の女性で、おしゃれなひとを見つけるのはそんなに難しくない。
さらに、かなり高齢であっても、銀座という場所柄だろうか、粋な装いの女性を何人か見つけた。

はてさて、男子である。
おしゃれな男というのは、最近増殖しているはずなんだが、これがいっこうに見つからない。

ハンサムはいる。しかし、ハンサムとおしゃれはちがう。(当然じゃ)
老いも若きも、おしゃれな男って、すくなくとも銀座ではほとんど発見できなかった。

まあ、「おしゃれ」の概念もいろいろだし、男子の場合、女子ほどわかりやすくないので、難しいのは難しいけど、せめて、ナイスミドルなどを期待したのである。

ちょい悪オヤジが闊歩してるかな~と。
でもさ、全然いないよ、そんなやつ。

考えてみると、自分の周りには、オヤジと称される男性は数多くいるけど、「ちょい悪オヤジ」と思わせるひとってひとりもいないや。単なるオヤジはたくさんいる。けど、「ちょい悪オヤジ」のイメージである、おしゃれでちょっと危ない中年男子(あら、言語矛盾?)って、いないのね。皆無。

純粋無垢な美少女がイメージだけの存在のように、おしゃれでちょっと危ない空気がして、でも魅力的なオヤジってのもイメージだけの存在なのだ。このイメージってもともと、オヤジが考えたものだし、オヤジってやつは、男ってやつはどこまでいっても、自分たちに都合のいいイメージばかり、抱くものだ。

単なる勘違いオヤジが増殖しているだけであった。

かのナンシー関氏も語っている。

結局、世界はオヤジでできてる。

合掌。