山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

真実っぽく見えても。


土曜日なのに、雨だから、気分だけでも、晴れた日の海。(先週撮ったもの)

最近は、インターネットラジオをよく聞いてる。なかでも、鴻上尚史の「生き延びるために笑う」(クラップ)はお気に入り。先月のゲストは中村うさぎさんで、今月は森達也さん。どっちの話も面白いよ~。

森達也さんは、「A」「A2」などの映画でオウム真理教のひとびとを撮ったことで有名ですが、ラジオのなかで、彼の言ってたことに、妙に納得してしまった。彼自身、ドキュメンタリーのディレクターなわけだけど、ドキュメント、ノンフィクションっていうと、すべて「事実」を撮っていると思われるけど、そうではないということ。

事実を素材にしているけど、その場には、ディレクターであるひとが存在し、何を撮って、何を撮らないかって選択もあるし、演出もある。あくまで誰かの作品であるってこと。そうだよなあ、としみじみした。

自分もテレビでドキュメンタリーを作るのですが、実際は、この演出の存在がないかのように振る舞うことはままある。テレビは「私」を消したがる傾向にあるし。しかし、昨年撮った韓国の文学を取材したものは、あくまで自分目線だったし、このほうがやりやすいし、はっきりするんだよね。あくまで、山田=私という個人の視点である・・ってはっきりいえるから。

今後、ノンフィクションも書いていこうと思っていたんだけど、「書く」ってことになると、ますます、描き手の存在をはっきりさせるかどうかにかかってくると思う。なるべく気配を消して、事実っぽく書くのもいいけど、自分は、自分の視線や感情を生かして、書きたいと思うな。結局、自分がどう感じたか・・を書くことになるわけだし。いくら客観的なつもりでも、そこには必ず主観が滑り込んでくるからなあ。

というわけで、少々真面目なお話。あ、もひとつ感じたのは、ノンフィクションのことではなく、インターネットラジオってすごいなってこと。今更だけどさ~、こういう内容は既存の局ではなかなかオンエアできないわけで。ノーカット版も聞けるんですよね~。ラジオに限らず、インターネットってやはりすごいとあらためて思った次第。テレビと同じ役割だって、状況的にはできるわけだし。巨大キー局ではできないことが、インターネットではできるんだなあ、良くも悪くもそれは、世の中をすごく変えてしまうよなあ。そんなことを考えました。

もちろん、こうしてブログを書いているのだって、インターネットの恩恵のひとつだよね。どこの出版社が出版してくれなくても、こうして書いて発表できる場所があるんだもんなあ。もっと若い頃にこうなっていたら、自分はなにをしただろうか。世の中の移り変わりを見ることができるのは面白いなあ。