山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

言葉が息を吹き返す瞬間。

脚本を担当している、某映像作品の本読みに行く。
(本読みとは、俳優さんたちが集まって、文字通り本を読むことですね。実際動いてみるリハーサルのひとつ手前の作業です)。

これまで長いこと「本読み」といったら、自分が監督するときのほうが多かったので、脚本家として、参加するのは、なかなか新鮮であった。自分は助監督の経験もないので、他の監督がどのように芝居をつけるかをあまり見たことがない。最初のうちはそんなこと気にしなかったけれど、やはり、たくさんの監督の仕事を見て育ちたかったと思う。演出に決まりはないけど、多くの例を見ておくことはとても貴重なことだ。それも、見学というかたちではなく、スタッフとして、一緒に働きながら学ぶことが、どれほど大切かは、長じてから知ったのだけれども。そういう形でしか、学べないものがあるのだと思う。

で、脚本の立場っていうのは、自分が書いたセリフを実際役者が音にするのに立ち会うので、言葉が生きる場合もあれば、ダメだなと思う場合もあり、自分の力量を試されているようなひやひやする部分もある。が、一方で、最終的にまとめ上げるのは監督の責任なので、脚本は、ちょっと荷が軽いような気もする。それに、この世界の仕事には掟があるので、監督の領分にいたずらに口を出すまいと気をつけている。自分が逆の立場だったら、ものすごく不快だと思うから(脚本家からとやかく言われたら、あんまり面白くないと思う)。

監督の方はベテランだし、みんなを大きく包むような感じがあり、とても和やかに本読みが進んだ。そして、俳優陣もみんなとても良かった。絵が見えたというか、彼らなら大丈夫だという確信があった。ので、とても充実した時間を過ごすことができた。気づくとすっかり時間が過ぎていて愕くほどだった。

最近は、書き物中心だったので、本読みとかも久しぶりで、う~ん、やっぱり、現場っていいな、ドラマっていいな、嬉しくなる。たったひとりで書く小説もいいけど、やはり、みんなで練り上げていくドラマ(映画)も捨てがたい魅力がある。小説は書いたらそのままが完成品だけど、脚本は、その言葉に俳優と監督が命を与えてくれる。急に生き生きと弾み出すんだ。そういうことがとても楽しかった。それと、ひとり、強い力を持った俳優さんがいて、しびれた。なんとも言えない存在感があって、彼がセリフを声にするたびに、セリフが生きるのを見た。こういうのを才能っていうんだなと思う。説明なく、ひとを感動させる力だ。

もっと具体的になったら、詳細、ここで報告したいと思います。今日はここまで。