山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自分らしさ…の迷宮

昨日、ipodnanoがいきなり壊れました。どーしちゃったのかわからない…と思っていたら、新しいipodが発表された…。時限爆弾でも仕込んであったのかしら(笑)。

今日は、久しぶりに一日家にいられた。おやすみってわけじゃないけど、やはし、家にいられると超リラックス。朝は好きなだけ眠っていられるし、ご飯もゆっくり、新聞も読めるし。それだけで、幸せな気分になる。お手軽だな、自分。

友達のディレクターが使えないADについて嘆いていた。プライドが高くて、自信過剰だけど、ミスが多くて、おまけに謝らないそう。ううむ、大変そうだ。「自分らしい仕事がしたい」とか言っているらしい。

「自分らしい仕事」か。働く女子のマンガやドラマの見過ぎかと思う。ドラマのなかでは、地味な仕事風景ははしょられ、わかりやすい、「やりがいのありそう」なシーンばかりが描かれるものだ。けど、そんなの仕事のほんの一部にしか過ぎないのにねー。

でも、自分らしい仕事ってなんだろう。そういう意識で仕事を見たことはなかったなー。仕事ってどんな業種でも、まず雇われて始まるものだで、発注に対して応じるのが第一義だろう。

「ニンジン下さい」とお客さんが言っているのに、バナナを差し出されても困るよね。バナナがどんなに自分らしくってもさ。…そういうことじゃないか。

長く生きて感じることは、自分らしさって何かしら、自分の人生ってどうなるんだろう…と思いながら、結局のところ、そこそこのところに落ち着いていくものだ…ということである。そして、ある日、死が訪れる。これまでにいくつかの死に遭遇して思うことは、人生とはほとんどのひとにとって、特にドラマチックなことがないまま、なんとなーく終わっていくものなのだ。

そんな~と思うかもしれない。若いころは自分が特別の存在であるから、その特別さを社会やまわりにも認識してもらいたいという気持ちが強い。けど、結局のところ、それほど特別である場合はまれであり、ふつうの自分をなんとなく受け入れながら年を重ねていくのだ。

そして、それでいいやと思えるようにだんだんと納得していくのだ。世界にとって自分はちいさな存在であっても、自分にとって自分は相変わらず最大の存在なのだから、それでいいじゃないか…という諦観とも納得とも言える気持ちに落ち着く。

わたしの場合はそんな感じかな。

とりあえず、今日はリラックスできてよかった。次に出る予定の小説の最終章を書く。ほんの2ページなんだけど、結構悩んだ。全部書いておきたい…という誘惑と、全部書かないで、次に期待させるようにしよう…という気持ちが錯綜する。どっちにしたかは、読んでいただくとよろしいかと。出版は12月くらいかな。クリスマスプレゼントに最適な内容だわ(気が早い)

いろんな新しいお仕事のお誘いが来ている。忙しいけど、幸せだ。自分らしい仕事ができているかわからないけど、自分がやっているので、自分らしいのだろう。意識しなくなったとき、案外楽になるものだ。

そんなこんなの水曜日。