地震3日目。
平常時なら、明日は、東大で上野千鶴子教授の「特別講義」ようするに、「最後の授業」が公開で行われるはずだった。
が、中止となった。
ただでさえ、混雑が予想され(定員が300名のため、徹夜組も出ると言われていた)、交通機関も不安定で、余震も続く状態では、リスキーなので、仕方ないと思う。
残念!
「フェミニズム40年」の歴史を系統だって聞けるはずだった。
けど、後日、なんらかのかたちで講義は公開される模様なので、それに期待したい。
…というわけで、各地でいろんなイベントが中止になったり、延期になったりしている。
テレビ番組も変更が続いている。
こういうのを「非日常」っていうんだなあと思う。
もしかして、人生初の非日常なんじゃないか。
昭和から平成に変わる時、テレビ界はいろいろ変更があったけど、その比ではない。こんなに長く、報道番組ばかりになったことはなかったと思う。
それだけ、規模の大きい災害なんだな。
自分自身も気持ちがざわついている。
仕事上のスケジュールもどんどん変わるし、自分の意志だけで、ものごとを決められないことを実感する。
もちろん、今までだって、自分の意志だけでやってきたわけじゃないけど、意志と行動がストレートに結びついていたと思う。
けど、今は、そうはいかない。
非日常を楽しもう…といえるほど、余裕はないです。
被災地の映像を見て、心が痛み、原発の情報を聞いて、一喜一憂しています。
こういう時に、「不寛容であるな」みたいなことを堂々と言えたりするひとがうらやましい。
あーちゃんとしているひとだと思う。
自分はダメだ。もう、立派な大人なのに。
ゆらゆらしている。
今日、トイレットペーパーがなくなったので、近所のスーパーに行った。
そしたら、お休み。で、ドラッグストアへ。ここでは売り切れ。
二軒目のスーパーに行ったら、お客さんが並んでいた。入場制限をしているという。
5人ずつしか入れない。とりあえず、並ぶ。
ブランドもののバーゲンなどで、そういえば、こうして並んだこともあったかもしれない。けど、基本的に並ぶの苦手なので、並ばないと買えないものは諦める主義だった。
じっと待つの苦手だから。
けど、今日は並んでしまった。
資料映像で見た、70年代のオイルショックとか、旧ソ連の配給のシーンなんかを思い出した。並んで生活必需品を買うってこんな感じなんだ…と他人事のように思いながら。
それでもって、トイレットペーパーは買えた。ひとりひとつまでって制限されてた。
店内はそれほど殺伐としていなくて、パンがないだけで、あとは普通だった。
普通に夜ご飯の材料を買おうと思うんだけど、買っちゃいけないような気にもなる。食べなくてもいいように思ったり。バナナでいいかと思ったり。
非常に、弱いものである、自分。
結局、火を使わずにすむほうがいいような気がして、お刺身を買った。
果たして、そんな行為に意味はあるんだろうか。
自分はどちらかというと、「生きててすみません」派だ。
なにもなくてもそうなのだから、非常時になると、「すみません」度が上がってしまう。
とはいえ、トイレットペーパーがないのはやだなーと思うのだから、「すみません」度は本人が思うほどじゃないか。
……急に仕事がヒマになったので、ゆらゆらしてしまった。
すみません。