山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

憧れの上司

というわけで、現在、MSNにて、ミニドラマ「終電まで」が絶賛配信中であります。

今日は、自分で作ったドラマをあらためて見て、「憧れの上司」について思い出したので、そのことについて書きます。

今を去ること、○年前、私はテレビ番組のADとして、働き始めました。初めてついた番組は、民放のクイズ番組でした。学生の頃はバラエティ番組をほとんど見ることはなかったし、興味もありませんでした。文学好き、映画好きであった私は、ご多分に漏れず生意気で、テレビのバラエティ番組など、「くだらないなー」と小バカにしておりました。

しかし、実際番組についてみると、スタッフはものすごく真剣に作っている。当然といえば当然なんですけど、まともに働いたことのなかった自分は、まず、そのことに驚きました。「くだらないと思っていた番組でも、作るのはものすごく大変なんだな」ということ。そして、小馬鹿にしていた自分は、まったく役に立たないこと。仕事の厳しさを思い知りました。

で、その番組のディレクターにとても魅力的なひとがいました。それは、男として…とか恋愛対象として…というのではなく、(いや、そういう気持ちも少しはあったかもしれないけど)、基本的に、「仕事のできる、なおかつ、仕事を楽しんでやっている」姿は魅力的でした。一見バカバカしい番組でも、少しでも面白くするために労を惜しまずに作る姿はかっこよかった。そして、そうやって作った番組がひとつひとつ面白く、すごいなーと思いました。

自分は根が単純なもので、「彼のようなディレクターになりたい」とすぐに思いました。当初、少しテレビで働いたら、物書きになろうと思っていたにも関わらず、この出会いによって、8年間もテレビの会社にいたし、その後の人生で、テレビディレクターを結局のところ生涯の仕事にすることになったのは、この上司がきっかけかもしれません。そういうひとがいなければ、とっととやめていたかもしれない。

かっこつけて言えば、彼の後ろ姿を見て、ディレクターになったのです。自分で演出をするよになってからも、最初のうちは、「あのひとだったら、どう作るであろうか」と想像することもありました。いろんなことを学んだのでした。そういう記憶が、「終電まで」を作るとき、ふっと蘇りました。
やっぱり、仕事のできる男はかっこいいんです。それが、利益追求のがつがつしたものではなく、「よりよきもの目指して、シンプルに努力する」というのがいいんですよねー。

というわけで、拙著「まじめなわたしの不まじめな愛情」の主人公とは全然違うタイプのお話ですが、自分の根底には、そういうストレートなものに憧れる少女のような部分も残っております。

一方で、「ダメ男」に魅力を感じることもあるから、まあ、いろいろなんですけれども。

というわけで、「終電まで」未見の方は、見てみてね。もちろん、無料ですし、10分くらいだから、仕事の合間の息抜きにどーぞ。

見たいひとは、下記をクリック!




小説「まじめなわたしの不まじめな愛情」(徳間書店)も引き続きよろしく。

さっき、『女性セブン」の10月3日号、見たら、書評に載っていました。結構、ほめられてて、嬉しかったです。