山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自然を相手にすることのたくましさ。

京都疎開6日目。その2。

さっき、ふるさととはなにか…について書いたけど、震災報道のニュース番組を見ていて、思ったことがあるので、それを書きます。

被災地近くでは、ほうれん草から放射線の影響が現れ、海水にも放射線物質が通常より多く含まれていた…という報告があり、それを受けて、ほうれん草を育てる農家の方、そして、影響の出た海近くで漁をする漁師の方のインタビューを放送していた。(番組名はわからないです。TBS系だと思う)。

一生懸命育てた農作物や牛乳を売ることできなくなるとか、その海では漁ができないってことは、死活問題であるし、非常につらいことだ。

昨日も書いたけど、それは、自分の仕事に置き換えると、……なにごとも、自分に引き寄せて考えてみないと、わからないというか、実感がわかないので…すみません……一生懸命、作った番組や本が、「汚染されている」という理由で、誰にも見られることなく、読まれることなく、廃棄されることと同じだ。

理不尽だ。

非常につらいことだ。なので、被害を受けた方のことを想像すると、胸が痛む。

が。

テレビのインタビューを見て、ちがう感想を持った。

なんか…とても、「たくましさ」を感じたのだ。

ほうれん草が出荷できなくなった農家のひと(多分、群馬県の方)は、カメラに背を向けながら、「ここは津波が来たわけじゃないし、地震も軽かったから…」と言った。

実際に、すごい被害を受けているというのに、感傷的にならず、怒りを爆発させることもなく、呆然としながらも、「よかったこと」(=津波の被害はなかった、自分たちは無事だった)を数えているのである。

そんなこと、並みのひとにはできないよ。

それから、漁師の方。

苦笑いをしながらも、『廃業でしょう。魚とっても売れないしね」と言った。せっかく船は助かったのに…。どれだけ無念だろうと思うけれど、ハイレベルで、諦観しているような、たくましさを感じたのだ。

その表情に、恨みがましさや憎しみは感じられず、事実を受け止めている感じがした。

わたしは勝手に、被害を受けたひとの痛みや苦しみを、感傷的に想像していたけど、当人たちは、もっと冷静であるように見えた。

もしかしたら、(想像ですけど)、農業、漁業、酪農など、「自然」を相手にする仕事のひとたちは、日ごろから自然というものが、自分たちの自由にならないこと、思っても見ないことをしかけてくることを知っているんじゃないか…それに対して、うらんでも、憎んでもどうにもならないことを知っているんじゃないか。

…ここまで書いて、反論されることが予想できる。

まず、津波はともかく、放射能の被害は、「自然災害」ではない。原発がなければ、起こらなかったことだ。

自然をうらむことはできないけど、原発を作ったひと、作ることを許したひと、恩恵を受けた人(=東京に住む私)をうらむことはできるはずだ。

それから、あくまで、テレビのインタビューである。被害を受けた方、全員に聞いたわけではない。ディレクター側の意思で、「落胆しすぎていないひと」「怒りをぶつけてこないひと」を、あえて選んだのかもしれない。そのような演出は可能だ。

(このあたりは、慎重に説明しないと誤解を招くので書きますけど、インタビューする相手を選ぶことはできる。それは、結局は、恣意的なものになる。全員からアンケートをとって、一番多い意見を探す…というのを短時間で行うのは難しいので、答えてくれたひとのなかから、「選ぶ」しかない)。

(しかし、それは、現場に行って感じた、「多くのひとが抱くであろう気持ち」を一番代弁してくれるひとを選ぶ。選ぼうとする。ほとんどのひとが、怒りにふるえ、泣き叫んでいたら、そういうひとの声を収録するだろう。少なくとも、自分はそうする。

特別な少数の意見を、それがほとんどであるように紹介したりはしない。多くのテレビ・ディレクターはそうしていると思う。なので、それを前提とさせてください)。

なので。

このような反論…原発は自然ではない、テレビのインタビューは恣意的なものである……これらを意識した上で、もう一度、インタビューを思い出しても、そのひとたちから感じたのは、「たくましさ」だった。

うらみごとを言うのではなく、これからできることを考えようとしている姿勢。

日ごろから、自然という巨大なものを相手にしてきたひとたちの、たくましさと、未練がましくない態度に、目を見張った。

スケール、大きいなーって思ったんだ。

そのことを書いておきたかった。

(自分なんてねー、テレビ番組ひとつ、途中で、「編集直し」をくらったりすると、ムキになって闘うし、負けると未練がましく、いつまでも、思い悩むし、相手を、世界を、運命を恨むし、「小さい、小さい」人間なんです。)

国にきちんと補償してほしいし、一刻も早く、牛も魚も野菜も回復できますように。