山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

革命前夜?

あけまして おめでとう ございます。

ブログを読んでくれてありがとうございます。ぜひ、本も買って(!)読んでくださいねー。

ということで、挨拶と宣伝でした。

大晦日は都内の自宅で過ごし、年が明けて、1日の午後、逗子の家に移動してきました。明らかにこっちのが寒い。鎌倉のお寿司やさんにいって、美味な寿司懐石をいただき、ハッピーな気持ちになっております。

が。

昨晩、つい、「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)を見てしまいました。格差社会をどうするか、貧困をどーするか…などがテーマだったようです。「朝生」は結構見て来たので、だいたいは、いつも通りの(テーマは変わっても)展開というか、おおむね「ふうん」って感じで見ていたですが、(放送開始当初の「え、こんなテーマテレビでできるの?」という驚きはずいぶん前に終わり、今はそれほど、他の番組との差を感じなくなっていた)、昨日はひとつだけ、びっくりする発言を聞きました。

それは、フリーターの労組の方が仰った、「お金持ちからお金をとればいい!」というような意見です。(これは私の記憶によるものなので、言葉の使い方の詳細は違うと思うけれども主旨はこのようなことであったと思います。間違っていたら、ごめんなさい)。

で、これはどういう文脈で発言されたかというと、今の格差社会、派遣切りの社会のなかで、仕事がなく、お金もないひとたちをどうやって救済するか…という問いかけに対して、発せられたものと記憶しています。いわく、「お金持ちからお金を取ればいい」

びっくりしたなー。これは、泥棒しろとかそういうことを言っているわけではなく、税金などの方法で、お金のあるひとから徴収して、お金に困っているひとに分配する…ということだと思います。もちろん、現在でもお金持ちから税金を多めに取ったり、その税を福祉に使ったりしているのだから、大ざっぱにみれば、「お金のあるひとから集めたもので、困っているひとを助ける」ということになっていると思いますが、たぶん、とり方が甘い、少ない、ということなんだと思います。

が、それを「お金持ちから取ればいい」と言い切ってしまう…その単純さとその背景にある心根を想像して、いよいよ時代が変わったのだと思いました。こういうシンプルな発言ってちょっと前までは、出てこなかったような気がする。

で、ふと思ったのですが、昨年は、「蟹工船」がベストセラーになった。その前に「カラマーゾフの兄弟」もベストセラーになっている。「蟹工船」は明らかに経済的な格差がテーマですが、「カラマーゾフ」は必ずしもそうじゃない。が、よおおく考えると、作者のドストエフスキーは、「罪と罰」でも、お金について語っているし、カラマーゾフだって、三兄弟の父親が、新興のお金持ちで、お金に目のない下品なひとだったからこそ、始まる物語と言えなくない。そして、これらの小説が生まれたのは、ロシアが社会主義革命に致る直前の時代なんですねー。

そうか、「蟹工船」も「カラマーゾフ」も偶然じゃなかったのか。世の中は、知らないうちに、「革命」を求めるひとびとを生み出していたのではないかしら。「今の世界はおかしい!」って圧倒的な気分で思い始めている。それは、若者特有の「大人を信じない」という普遍的なものの側面もあるかもしれないけど、明らかに自分が若かった頃の小さな反抗などではなく、もっと大きなうねりになってしまっているのかもしれない。

その先にあるのが、「お金持ちから取ればいい」という発想じゃないか。少し前だったら、お金がない…としたら、「頑張ってはたらく」とか「起業する」とかって方向へ行ってた。それは、ルールのなかでの解決法を探ること。だけど、「お金持ちから取ればいい」という発想は、今のルールのなかには、解決法はないから、そのルールをなしにして、考えよう…ということじゃないか。

なんか、そんなことを考えてしまって、不況不況とマスコミで報道されても、今ひとつ実感できなかった自分には、多くのひとの意識が変わりつつあるんじゃないか…徐々に突然に、180度違う視点に…と思ったのでした。

こうなってくると、解決の方法って、革命みたいなことになってしまうのかな…と思った。現行のルールじゃきっと、ダメなんじゃないか。うー恐ろしいような、時代の転換点を見るのは、面白いような…なんて他人事じゃなくて、映画や小説、テレビの世界にもひたひたと不況の波は押し寄せているからなー。

元旦に考えたのはそんなことでした。