山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

お金について。

映画「闇金ウシジマくん」を見ました。

闇金ですから、10日間で5割の利子を取り付けるというとんでもないものです。今でもそんなところあるのかしら。

しかし、「闇金」とうたっているのだから、あるのかもしれない。

内容はかなり救いのないお話なんですけど、これを見ていて、ひとはどうしてお金がほしいのか…という根本的な疑問に行き着きました。

いろんな事情でお金を必要とする人たちが出てくるんですけど、お金そのものがほしいというより、お金が連れてくるなにかが必要なんですよね。当たり前と言えば、当たり前だけど。

登場人物のひとりは、人脈だけが売りの、イベントプロデューサーのまねごとをしている少年。彼は家も貧しいし、大学へも行けなかったから、お金を儲けてなんとかのし上がりたい…と思っているわけです。

彼にとっては「お金持ち」=成功者で、お金を得ることで成功したい…わけです。

映画のなかには具体的な「成功者」も出てきます。IT企業の社長が、美女をはべらせて、ごじゃれた部屋でパーティーを開いていたりします。シャンパンを飲んで。

これが「成功」「お金持ち」のひとつのイメージなんでしょうね。

そこで考える。ホントにそういうものがほしいのかな?そんなにうらやましい?

若ければほしいのかもしれない。

けど、立ち止まって考える。

豪華な家…といっても、しょせん、家ではないか。どんなに広大なお城に住んでも、人間ひとりで使える場所は限られている。

絶世の美女をはべらせる…こういう気持ちもわかるけど、美女といっても人間ですから、ひとりひとりに個性と事情があり、お人形ではないから、それぞれのキャラクターと向き合わないといけなくなる…そんなに楽じゃないよね…と思う。

そうして見ると、お金が連れてくるものって、一時的にははまるかもしれないけど、それほどに魅力的だろうか。

仕事で得たお金で副次的にそういうものにお金をかけるひともいるだろうけれども。目標としてはつまらなくないか。(そうでもないの?)

(もちろん、木嶋佳苗容疑者のように、ベンツやマンションのためにひとをあやめてしまう人もいますから、この手の暮らしに死ぬほど焦がれるひとがいることはわかります。

けど、彼女の場合も、「お金が連れてくる」なにかが必要だったんだよね。お金によってしか、関係を作ることができなかった…。実の妹にまで、ご飯をおごったり、お金を渡してつきあってもらっていたというし。)

このほか、映画にはパチンコにつぎ込んで借金をしまくる女性も出てくる。彼女はパチンコ依存症ですよね。お金がほしいといより、パチンコをやり続けたい。これは一種の病であるし、そうなってしまったのは、お金がないから…というより、心の問題でありましょう。

いずれにしても、「お金」にふりまわされているひとたちが次々と描かれ、その姿はそれぞれに痛ましい。たぶん、映画はその痛ましさを描こうとしているのだと思う。

この監督が、お金も女も全然信用していない、そんなものではしあわせになれないって思ってることがヒシヒシと伝わってくる。そういう意味ではかなり、辛らつです。

お金に支配されないひととして、「ニートの歩き方」にでていた、メキシコの漁師を思い出す。

自分と自分の家族が食べられる分だけの魚をつって、あとは、好きなだけ寝たり、家族や友人と楽しく過ごして生きていく。

だから、ハーバードのビジネススクールを出たアメリカ人から、「もっと魚をとって、儲けよ」と言われてもピンとこない。

けどさ。

なかには、メキシコの漁師みたいな生き方では満足できない人がいるんだよね。あるいは、一緒に魚を食べる相手がいないひと。日が暮れたら、一緒にお酒を飲んで、踊って楽しめる仲間がいないひと。

お金をちらつかせないと誰も寄ってきてくれないひと。

そういうひともいるだろう。

あと、ビジネスとして楽しい、という場合もあるよね。そこで力を発揮したい…というひともいる。
まあ、だいたい、リアルに成功しているひとはこっちだよね。仕事のおもしろみが結果的にお金を生む…ということで。

資本主義というのは、人間の欲望をある意味、肯定して、その先に何があるのか、とことん追いかけた実験だったように思う。20世紀は資本主義、欲望の実験だった。

そして、その先にあったのは何だったんだろう。どこまでいっても満たされることのない底なしの欲望。数字だけが莫大になっても、実際に得られるものは限界があった。

それを、今の若いひとは見てしまったよね。

つまり、そんなに儲けても得られるものって限られてて、豪華な家も服も食べ物もいいとは思うけど、豪華じゃなくても家も服も食べ物もそこそこでも充分やっていける。

としたら…、あくせく、ひとを蹴落としてまでやることってどんな意味があるんだろう?って思うよね。

「ニートの歩き方」のようなひとたちはそう思ってる。

わたしもそう。

しかし、先日、気鋭の経済学者さんと話したら、「ニートはそうはいっても、いずれ立ちゆかなくなる」と仰っていたので、そうそう未来はあまいもんじゃないのかもしれない。

けど、メキシコの漁師が平和に暮らせる世界であってほしいと思う。

闇金の話から随分ずれました。