山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

地震とマドンナと小さな変化。

今日は、14年前、阪神大震災が起こった日だったんだな。いつも読んでるさとなおさんの日記を読んで知った。

そっか。あれから14年か。何度も書いてるけど、95年は自分にとって、節目になった年だった。きっかけのひとつは間違いなく、阪神淡路大地震。当日は編集室にいて、たくさんあるモニターのひとつに、倒壊した家や高速道路の様子が一日じゅう、映っていた。特に親しいひとが被災したとか亡くなったとかってことはなかったけど、精神の根本のところになんらかの衝撃があった。それは、言葉にすれば、「こうしちゃおれん」「このままじゃだめだ」って感じだろうか。(ボランティアで駆けつけて、手助けしたい…という方向の気持ちではなかった。申し訳ないけど)。

次に5月くらいだったかにオウム真理教の事件が起こる。この二つ目の事件で、決定的になって、わたしは小説を書こうと思った。とにかく、始めたいと思っていたことを始めなきゃだめだ…と非常に焦った。で、決まっていたテレビドラマの仕事を断り、引きこもって、半年間、書けるだけの文章を書いたのだ。小説2本、脚本2本書いた。(そのうち3本が入賞したという話は、何度も自慢しているから繰り返さないけど…あ、繰り返してしまった)。

まあ、そういう経緯があるので、いつでも自分は95年のこととなると、なにか言いたくなってしまう。大きな事件って、こういうふうにいろんな結果を生むんだなあと思った。(他人事みたいだけど)。被災された方や亡くなった方が一番大きな衝撃を受けていると思うけど、小さなところでは、こんな風に、全く別の次元にいる人間の一生を変えてしまうんです…と言ってみた。

ところで、さとなおさんの日記によると、地震に備えておかないといけないようだ。うちは基本的に家具は少ないけど、決定的に、やばいなーと思うのは、本棚。今いる、机の左側に天井まで届く本棚が二個あり、その真下でこれを書いている。大きな地震が起こったら、間違いなく、本棚の下敷きになって死ぬだろう。冗談で、「本の下敷きになって死ぬなら本望だ」と言って、直接自分に降りかかるであろう位置には、自分の本と、最も好きな本を並べている。どうせ、本の下敷きになるなら、クンデラやウエルベクやトルストイの本の下敷きになりたい。…が冗談言ってる場合じゃないかな。

けど、どうしたらいいのかわからない。本棚に支えをつけてでも、中身は飛び出すだろうし…。飛び出さないようになにかしたら、今度は取り出すたびにめんどうになりそう。…悩ましい。

あ、今の第一の関心は、マドンナの映画。「ワンダーラスト」。今日から公開だよなあ。予告編を見ただけで好きな感じだ。マドンナ、かっくいい。マドンナが監督デビューした同じ年に自分も監督デビューできるの、すごい嬉しい。年も同じだしね。同世代で一番かっくいい。もしかして、映画祭とかで会えるかもしれんぞ…。と、夢はふくらむ。あ、地震の話だったのに。しかし、映画を撮れるようになったのも、出発点は95年に書いた小説だし。すべてはつながっているのだ。ほう。