山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

「農業少女」と「噂のモーガン夫妻」

今日は、池袋で、野田秀樹作、松尾スズキ演出の「農業少女」を見て来ました。

もともと野田秀樹さんが10年くらい前に書き下ろして、それに松尾スズキさんが出ていたことから、今回のこととなったようでした。で、まず、印象からいうと、やっぱり、野田秀樹さんの匂いが強いというか、遊民社っぽいというのが、第一印象でした。

演出は松尾さんなのだから、もっと、大人計画的な笑いに振り切るのかと思ったら、やっぱり、脚本(ホン)強し!なのか、私の記憶している「遊民社の舞台」っぽかったです。といっても、遊民社の芝居って、そんなにたくさん見ていないので、あくまで印象ですが…。

そう思うと、やはり、脚本って大事なんだなーと思ったりしました。どんな演出家であろうと、脚本の持つ力や方向性を大きく変えることは難しいのかな…なんて思いました。あ、これは番外の感想です。

まず、俳優部について。
多部未華子って、すごいと思いました。舞台女優かと思うほど、声が通り、踊りも芝居もうまかったな-。堂々としているし。すがすがしかったです。そして、吹越満、山崎一、江本純子の三名も抜群にうまいです。というか役にはまってて。力強い芝居だなあと思いました。

それはもしかすると、最近自分が見ている舞台が、“リアル”な感じのものが多くて、大きな声で話したり、飛び跳ねたり、動いたりするものが少ないせいで、久しぶりに見た、「舞台の演技」だったのかもしれません。気持ちいいくらいに声だして、動き回ってました。江本純子さんは、少年のように見えて、不思議だった。この方の「悪」の匂いのする芝居が好きですが、この舞台では、その悪は全面にでていなくて、軽い少年みたいに見えました。みなさん、芸幅が広いんだなあと。

で、内容について。
正直に言えば、なんか80年代っぽいって思いました。まず、「少女」という存在に対して、強い憧れがあることを肯定しているお話なんです。無垢な少女になんかを仮託することで物語が動いていくんです。少女は中年の男を翻弄しつつ、世間も翻弄し、自分も男と世間に振り回されていく…という構造になっています。そこには、カルトあり、エコあり、なんですけど、こういったアイテムがひとつひとつ、80年代っぽいと思いました。

80年代の舞台ってそういうものを描いたの多かったような。大きな物語が語られた時代のような気がします。90年の援助交際ブームみたいなのを経て、少女に対する絶対的憧れって随分打ち砕かれてしまって、15歳でエンコーしていることがわかったところで、「だから、なに?」って気分に、もはやなってしまっていると思うんです。(少なくとも、私は)。

もう、そんなことでは驚かないし、そういう少女がカルト宗教的な集団に入って、教祖のような男の傀儡として、世間を騒がせる…という筋書きに、びっくりしないというか…。全部が見て来た夢のように思えました。気分としては、みんなもう、終わってしまった…って感じが。

もちろん、今でも、「少女」と言われる年代の女子は存在するはずなんですけど、そこに過剰な思い入れをするひとが多分、減ってしまったんじゃないかな。少女のほうも、当時よりは無自覚ではなくなったし、ユニセックスな状態が日常化して、男子のほうでも、少女ってだけで過剰に意識するひとが減ったように思います。

少女がまだ、光だった時代を懐かしく思いました。それとも、私が偏向しているのかな。でも、そう感じてしまったのだらから、しょうがないですね。

今日は、ほとんど休みだったので(ひとつ打ち合わせがあった)、夜は、六本木ヒルズで、“噂のモーガン夫妻”を見ました。ヒュー・グラントとサラ・ジエシカ・パーカーが主演ですよ。「satc」と「ブリジット・ジョーンズの日記」を足したようなものでしょう。ヒュー・グラントファンとしては、見逃せないので、行きました。しかし、彼も年をとったなあ、相変わらず魅力的だったけど、さすがに色気が減り気味でした。詳しくはいつか…。

実は明日も休みなんで、うれしくて、うれしくて…。