山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

大きな物語に抵抗するぞ。

雨の日曜日。

朝日新聞に触発される記事があったので、それを書きます。

「読書」のページに、奥泉光さんが、『テロと殉教』(ジル・ケペル著)という本の書評を書いておられた。イスラム研究者であるフランス人によって書かれた書…ということで、昨夏、エジプトに行って以来、イスラム的世界観に興味を持つようになった自分には、貴重に思える本だった。

けど、ひきつけられたのは、特にイスラムのことではなくて、奥泉さんの最後の記述。

『目立たない<小さな物語>をすくいあげる一方で、<大きな物語>を支える悪しき文学性を批判するのが、文学である以上、文学の果たすべき役割りは小さくないはずだと、小説家である評者は、明解な論述に一々頷かされながら、密かに考えた』

ああ、そうなんだ…と思った。目立たない小さな物語をすくいあげること…これこそ、自分もやりたいことだし、一方で、「大きな物語を支える悪しき文学性を批判」って、まさに、こっちもやりたいことじゃないかー。

うわーさすがだ。

とかく、「大きな物語」のほうが、商売になりやすい。奥泉さんが、「大きな物語」と言うとき、さしているものとは別に、自分は、「大きな物語」をこんな風にとらえている。

例えば…

母は子供のためなら、命を惜しまない。それこそが母性だ…。すべての女性には母性がある。

これは、「母性」という大きな物語。

あるいは、この世には運命の恋人がいて、そのひととは、赤い糸で結ばれている。そのひとと出会えたら、死をも越えた愛が生まれる。

これは、「運命の恋」に関する大きな物語。

他にも、いろいろあるけど、いちいち書いているとはしたない感じがするので、やめておく。しかし、大きな物語の市場は広く、ちょっとアレンジして使うと、売りやすい。共感を得られやすいからだ。でも、実は、そこには、真実のかけらはあまりなくて、勝手な思い込み、思考停止で成り立っていたりするのだ。

自分はそういうものに、無駄な…とは言い切れないけど、無駄とも思える抵抗を、小説と映画ではしています。しているつもり。とほほ。

そんなわけで、この奥泉さんの言葉に、あらためて勇気づけられ、これからも、大きな物語に抵抗しつつ、小さな物語を書いていこうじゃないか…と思った次第。

そして、もうひとつ。同じ朝日新聞。

「家族とのだんらんとは何でしょう」という記事。

「食卓と家族」という本を書いた表真美さんという方のインタビュー。

家族が食卓を囲む機会が減っている、だから家族の絆が薄れている…という前提に「?」を持ったことから、研究を始めたというお話。これも、「大きな物語」への勇気ある問いかけだと思う。

著者が、この研究を始めたのは、新聞に載った男性からの投書がきっかけだと言う。それは、共働きの家庭が増えて、食卓を囲んでの家族だんらんがなくなったため、家族の結びつきが弱くなった…という内容だった。

うわー、ありそうなお話だと思った。

もののわかったような男性が、「家族が壊れたのは、女が働き始めて、家族で一緒にご飯を食べる時間が減ったからだ」みたいなことを、したり顔で言う感じ。

けれども、表さんの研究によれば、日本人が家族みんなで食卓を囲むようになったのは、戦後のことで、明治時代には、食事中は会話を慎めと言われていて、だんらん…というものじゃなかったり、とにかく、「絵に描いたような昔の家族だんらん」なんて、歴史的には、ちっとも一般的なものじゃなかったこと。

こういうのも、大きな物語だと思うんだよね。以前、ここにも書いた「無縁社会」というドキュメンタリーにも同じ匂いを感じた。家族が崩壊し、孤独死するひとが増えている…という内容だったんだけど、この番組を見たひとは、「やっぱり、家族が一番大事。家族を再生せよ」という感想を持つひとが多かったように思う。

家族…あたたかいもの、最後にたどりつく場所、外界から守ってくれるところ…

これが大きな物語。そういう結末に持って行くと喜ばれます。そんなこと、エンタメの世界で働いていたら死ぬほどわかっている。

そんなわけで、そういう大きな物語にこれからも抵抗をしていこうと思いをあらたにしました。…とはいえ、正直に言えば、仕事の上で大きな物語に乗って作ったものもあります。テレビ番組ですが。完全降伏じゃないにしろ。

と告白したところで、今夜はお終い。

と、1度アップしてから、奥泉さんのいう、「大きな物語」とはなにかについて、もう一度考えた。

というか、記事を読み直した。

ちゃんと書いてあった。「大きな物語」とは国家や民族が奏でるもの…だった。失礼しました。それは、911以降の「テロ」と「殉教」という物語であった。この本のタイトルじゃないか。

理解力浅いぞ、自分。前半も直そうかと思ったけど、自分はそう誤解して解釈したってことは残すことにしました。すごく大きな主旨はちがってないので。よく読んでから書こうね。…自分に言ってます。

昨日の日記、早稲田学報の記事も載せてみました。

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