山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「潜水服は蝶の夢を見る」

昼間は、映画関係の打ち合わせに出かけ、夜、映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見ました。

ELLEの編集長だったイケイケ遊び人の男が、脳梗塞に倒れ、右目の瞬きだけで、書いた自伝を映画化したもの。2007年のフランスの作品。(カンヌ映画祭、監督賞)

最初は、主人公の左目からの主観ショットで始まる。体が不自由なことを、彼の主観で表す…という試みはよくわかるけど、見ているこちらはかなりつらい。というか、辛くさせることで、主人公のつらさを伝えているように思える。体が動かないという不自由をまさに映像で表現している。

はじめはそれが「わざとらしい」「演出過多」のように思えた。彼の回想シーンに入るとほっとしたりして。主人公は、1度は絶望して、「死にたい」ともらすけれど、瞬きによって、意志を伝えられることを覚えてからは、急に吹っ切れ、瞬きによって、自伝を書くことを決意する。

そして、協力者の女性とともに、瞬きだけで、自伝を完成させるのだ。映画は自伝ができるまでを描く…というのではなくて、自伝を元に、闘病生活と彼の頭のなかを行き来しながら、進んでいく。

この主人公は、脳梗塞にかかる前には、ファンション雑誌の編集長として派手な暮らしを送っていたわけだ。美女に囲まれ、愛人を持ち、宗教心を持たずに、気ままに暮らしている。そういった過去が効果的に入って来る。主演のマチュー・アマルリックが「悪いやつだけど、愛すべきひと」って感じをとてもうまく演じている。とっても、タイプだわ、彼。

最初は、とってつけたような過剰な演出だと思って、入り込めなかったけど、主人公が自伝を書き始めたくらいから、引き込まれた。死にゆく姿を描くというより、生きようとした部分を大きく描いているからだろうか。そしてやってくる死は、唐突なんだけど自然に感じられた。

死は生と地続きなんだな…という気になる。そして、自分も死にゆく身であるから、いえ、重病にかかっているとかじゃなくて、生きとし生けるものみな、死にゆくモノという意味で、生きていることは本当にラッキーで希なことなんだ…と、強く思えた。

そして、「書くこと」の偉大さ。やっぱり、「書くこと」はひとを生かすことなんだよなあ。主人公が体が不自由になっても、精神の自由と記憶は決して失われてはいないんだ…って気づくところが、よかった。頭のなかは、いつだって、自由のはずだ。

(もちろん、精神を病んでいくと、自分の頭のなかですら、自分では自由にできなくなる場合がある。それはそれでとても苦しいことではある)

難病ものというカテゴリーに入るかもしれない内容を、お涙を禁じるように、批評的に描いているところがいいなーと思った。それと、あの映像美はなかなか、できるもんじゃないな。