山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

「終着駅 トルストイ最後の旅」

ジェイ・パリーニ著「終着駅 トルストイ最後の旅」(新潮文庫)を読んでいる。

文豪と言われたトルストイは、晩年、鉄道に飛び込んで、自殺した。

地位も名声もあり、人格者として誉れの高かったトルストイは、なぜ、自殺したんだろうか。それも、見知らぬ駅で、走ってきた電車に飛び込むなんて……。

その謎に迫るノンフィクションである。

自分は大学でロシア文学を専攻し、卒論は、トルストイの「アンナ・カレーニナ」であった。ご存知の方も多いと思うけれども、アンナ・カレーニナは、物語の最後で鉄道自殺する。なにも死ぬほどのもこともないのに…という状況のなかであっけなく死んでしまうのだ。

ざっくり、「アンナ・カレーニナ」のあらすじを説明しておくと、アンナは賢く、美しい女性で、カレーニンという立派な男と結婚する。一男をもうけて幸せに暮らしていたけど、ウロンスキー伯爵というイケメンの年下の男と出会い、恋をしてしまう。

今風にいうと、不倫である。

ウロンスキーによろめいたり、やっぱりダメだと夫とやり直そうとしたり、そうこうするうちにウロンスキーを他の女にとられそうになったり……

いろいろメロドラマのような展開があり、その間に、他の女性たちの恋や結婚についても語られる、マコトに読み応えのある小説です。

非常に面白いと思ったけど、どうしても不可解なのは、最後のアンナの自殺だった。

だって、ウロンスキーからはちゃんと愛され、やる気があれば、離婚して、新しい人生を送ることができたはずなのに。

なぜ、死んじゃうの?

それが、私の疑問でした。

不倫したという罪の意識につぶされたのだろうか…とも考えたけど、小説として、とても唐突な感じで自殺するんだよね。不可解なり…と思っていたところで、トルストイのある言葉にぶち当たったのだった。それは…

 復讐するは我にあり 我、これを報いん

…というもの。トルストイがのちに語ったとされているんだけど、なぜ、アンナ・カレーニナは自殺するのかと問われて、

「結婚生活を破壊するようなものは、死すべきである。しかし、手を下す必要はない。なぜなら、そのものは、おのれのしたことによって復讐され、自ら滅んでいくだろうから」

(だいたいこのような主旨であったと記憶します。文章は今、私が書いたものです)

このトルストイの考え方に出会って、すごいびっくりして、なおかつ、文学ってそういうものなんだーと理解したのを昨日のことのように覚えている。

(その頃、自分は二十歳であった)。

つまり、こうあってほしい未来を描いているってこと。

作者(=作家)が、登場人物に罰を与えているってこと。それが作者の言いたいことであった…。

それについて、卒論を書いたわけです。で、時が流れて…。

「アンナ・カレーニナ」を書いたトルストイは、まるでアンナみたいに、電車に飛び込んで自殺して、この世を去ります。何不自由ないはずだったのに…。

アンナを小説のなかで死なせたのが、巡りめぐって自分にやって来た…?

それとも、「アンナ・カレーニナ」を書いた時点で、どこかに自分の未来を想像していたのか。そこらへんはわからないけれども、非常に興味深いでしょ。

作り手は自ら作ったストーリーのなかに、取り込まれていくのか?

死ばかり語る作家の死に方について、ちょっと興味をひかれる。

そんなわけで、「トルストイ 最後の旅」を読んでいます。

まだ、読み始めたばかりだけど。しかも、この作家、アメリカ人なんです。ドキュメンタリーの手法で、トルストイの妻や秘書たちの日記やエッセイをまるで、インタビューするみたいに並べてみせる。

果たして、トルストイ 死の謎に迫れるのか?

楽しみでしょ?

訂正;
トルストイは、鉄道自殺ではなかったです。自分の勝手な思い込みでした。名もなき、小さな駅でなくなったことは事実だけど、自殺じゃないし、鉄道に飛び込んだわけではなかったです。

すみません。勝手に間違って、記憶していました。この本を読み終わり、確認しました。でも、鉄道自殺じゃなかったけど、充分面白い本でした(9月11日)