山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

淋しさの根源を考える。

数日前に書いた、人生相談が、どうにも気になるので、もう一度、書いてみたい。

そのためには、元々の記事をちゃんと紹介すべきだと思った。元の相談は、「女性セブン」(小学館)9月16日号の「初恵の美心相談室」というもの。

<今月のお悩み相談>

8年前に主人に先立たれ、子供もいない私は、現在、パートをしながら生活をしています。不況で勤務時間は短くなり、家族もいない淋しさに生きることさえ、いやになってしまうことがあります。(林様 60歳)

これに対して、回答は、
「一人の生活は自由がきいていいときもありますが、不安はつきものです」から始まり、60歳ははなたれ小僧といわれる働き盛りの年齢であること、友達を作ったり、ボランティアをしたり、趣味を増やして前向きに…血縁ばかりが家族ではない…などと、誠意あるお答えでした。

回答は、岩本初恵さんという61年生まれの会社経営者であり、作家、ライフアアドバイザーでもある方でした。

この答えに異論があるわけではありません。

この問いかけに対して、自分なりに、考えてみたくなった…マイケル・サンデル教授みたいに…笑。(誰にも頼まれていないのに)。

まず、この相談者、林さんの真の相談とはなにか…である。

この方は、8年前に夫を亡くしている。子供はいない。仕事はパートである。そして、今淋しい。

子供は元々いなかったのだから、子供がいないせいで淋しいわけではないだろう。

さらに、仕事がパートで就業時間が短くなったことは、最近の出来事であるらしいけれども、仕事に生きがいを見出していたわけでもないようだ。

…とすると、このひとの淋しさの原因は、夫が亡くなったことなのだ。夫が亡くなり、ひとりになり、淋しいなーと感じた。

で、ふと、子供でもいたら、淋しくなかったんじゃないだろうか、あるいは、仕事にもっと生きがいがあれば、淋しくなかったんじゃないだろうか…と想像したのではないか。

元々、持っていず、切望していたわけでもないけど、ひとりになって、ふと、「あれがあったらなー」と思った…ということのような気がする。しかも、その想像が、「子供」「仕事」という、非常に常識的な想像によっているような気がする。

「今が江戸時代なら、淋しくないのに」と考えてもいいし、「ここが、イタリアだったら、淋しくないのに」もありだし、「わたしが男だったら、淋しくないのに」という想像もありだ。

なにが言いたいかというと、このひとの淋しさの原因は、何かに対する比較によって、成立しているということである。

子供がいるひとより淋しい…にちがいない。仕事のあるひとより、淋しいに違いない…ということだ。

「もっとお金があったら、淋しくないのに」という想像もあるだろう。

だとすると、真の回答とは、「自分の真の望み、欲望を知ろう」ということではないか。

そもそも、夫が生きているときは、淋しくなかったのか。それほど、夫を愛していたのか…という問いかけをしたい。

子供がいなくて淋しいなら、養子縁組を考えるとか…日本でシングルだと難しいか…ボランティアで子育て支援をするとかもあるだろうし、保育園や幼稚園で働く道もあるのではないか。そうすれば、子供と仕事の両方が手に入るぞ。

いやいや、60歳の未経験の女性は幼稚園では雇ってもらえません…ということもあるかもしれないけど、お金はいりません…ってことだったら、手伝いからはじめることもできるだろうし、ベビーシッターのバイトなら、あるような気がする。

誠意ある仕事をすれば、可能のような気がする。

いやいや、自分の淋しさを紛らわすために、子供の相手をされてはたまりません…と思われるかもしれない。

しかし、そもそも、この質問者は、「子供がいないから淋しい」「仕事がパートでやりがいがない」という考え方から出発しているのだ。子供は自分の淋しさを紛らわす対象、仕事も同じ…という発想にいるからだ。

ちょっと、辛らつな書き方になってしまった。

そこまで言わなくても、夫がいなくなり、ひとりで暮らしていたら、淋しいだろうなあと思う。これがもうちょっと若かったら、次の相手を探したり、仕事ももう少し意欲的に立ち向かえるだろう。けど、60歳という年齢だと(まだ、経験していないからわからないけど)、そうそう前向きにはなれないだろうなー。

振り出しに戻ってしまった。

いや、自分もしょっちゅう、絶望的な気分に襲われるので(淋しいというのとちょっと違うかもしれないけど)、その漠然とした寂寥感を解決することはできるのか…という問いかけは重要だ!と思うからだ。

けど、生きることに対して意欲がなくなるのは、子供がいても、仕事があっても、ある種のひとが時々陥る、根源的な不安なので、その真の解決はないのではないか。まず、真の解決はないです。人生は淋しく、生きるのは時々いやになるものですよ、そもそも…と自覚したい。

あるいは、死への憧れ…タナトスってやつは、人間にあらかじめ、折込づみなんですよ、と。

あなたの根源的な淋しさは、誰もが持つ基本アイテムであり、60歳の今日までその存在に気づかずにやってこれたとは、結構ラッキーだったのではないか…ともいえる。

人生は絶望に満ちており、真の解決はない。それをわかった上で、まだ、この人生を続けようというのなら、紛らわすこと、注意をそらすことを探しましょうと。

子供がいたら、仕事があったら…とないものを数えていても、仕方ないじゃん。いや、そうやって、ないものを数えて時間をつぶす…という方法もアリかとも思う。

…ということで、解答を求めたつもりで、さらなる迷路に入り込んでしまいました。このような解答をしたら、相談者は頭のなかがぐるぐるして、狂ってしまうかもしれない…ダメじゃん。

けど、自分の淋しさの根源を掘り起こしぬくことで、光が見えることもあるんじゃないだろうか…。

そんなことをつらつら考えてしまった。以上。お粗末。