山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

なんでもお金に換算して考えてみよう。

最近は、なんでも数字にしないとしっくり来ないのは、テレビの視聴率だけじゃないようだ。

[うつなどで損失2.7兆円 ]っていう記事があった。

厚生労働省の発表によれば、去年、うつ病になったり、自殺したひとによる、経済的損失を計算したら、2,7兆円もありました、って話だ。

自殺したひとが、死なないで働いていたら、「これだけ、生産しただろう」額とか、うつ病になったひとのための生活保護の費用とかそういうものを計算したらしい。

うつ病も自殺もそれだけで大事件だけれども、その上、経済的にも損失が大きいというお話だ。

そのほか、数日前の朝日新聞にも、環境を守ることのほうが、経済的損失も少ない…といった記事が載っていた。(この記事が今発見できないんだけど)、湿地帯を埋め立ててなにかを作るよりそれを生かしたほうが、いくらお金が浮く…といったような計算だったと思う。

なるほど。そうやって、具体的な数字に換算することで、事態の大きさを示すことができるのだろうと思う。あるいは、「経済的損失」つまり、「損するよ」って言わないと、物事が進まないのかもしれない。

自殺やうつ病みたいな、心の病については、前向きでがんがん働いているひとからみたら、「勝手にすれば」とか「ほっておけば」って考えもあるかもしれない。知らないもんね、関係ないもんね…というスタンス。

が、「お金、損しますよ」となってくると、「えー!そうなの?」と興味を持つひとが増えるのかもしれない。

だから、お金に換算することは、多くのひとの興味を集め、知恵を集め、結果的に解決につながる可能性が増える…のかな。

ただ、漠然と、「数字」アレルギー気味の自分は、なぜなら、テレビでは、視聴率、出版では、発行部数、映画では興行成績というものをいつも突きつけられてきたからであった。そして、いまや、エンタメの世界は、「数字」にほとんど換算できるようになったと思う。

数字がよければ、王様になれるからね。

いや、数字はニュートラルなので、古い慣習を打ち破るいい面もあるから、一概に、「数字で表すなんて、ひどい!」と思っているわけじゃない。

ただ、ちょっと敏感ではある。

数字に換算することで、なにかを理解したようになる習慣が、なんか、怖い。とりあえず、数字を見ておこう…という感覚が。

ありがちな想像は、あなたが生きる価値ってやつを、単純に数字にあらわせるってことになる。まあ、単純に言えば、「どれだけ生産できるか」=収入の額ってことになる。

いやいや、そんなものでは換算できない価値がいっぱいあるじゃないか…というのは真実だと思うけど、「とりあえず、数字的にいえば、こう」みたいな感じが、成立しちゃうこわさ。

…というか、すでに成立しちゃっているのか。うー。

数字に換算したほうが、物事の事態を把握しやすい…って感覚になっているだろうなあ。自分も含めてね。

で、ちょっと、居心地悪いなーと感じたのだった。