山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

人生の失敗…わたしの場合。

そんなわけで、ミニは入院五日目。

今日は我慢して、お見舞いに行かなかった。あんまりしょっちゅう行くと、病院に迷惑のようなので…。

明日、転院なので、それまで、耐えることにした。…入院中のミニが耐えるのではなく、飼い主が面会を我慢して耐えるのだ。どれだけ、弱いんだ、自分。

ミニが病気になってからというもの、すべてのことにやる気がなくなり、日々、そのことしか考えられなくなり、異常な精神状態が続いている。

本当なら、この夏は新しい小説を書く予定だったけれど、映画による燃え尽き症候群を理由に一日延ばしにしてきた。そんなときに、ミニが病気になり、それが決定打となり、ほとんど何もできなくなった。

で、「ミニより大切なものはこの世にない。もう、小説とか書けなくてもいい。それどころじゃない」という気分で過ごしている。

そして、フト、気づいた。これが要するに、「自分」ってやつで、自分の創作欲というのはその程度のものであり、これまでの人生でも同じようなことを繰り返してきたのだな…と。

ひとつ思い起こすのは、30代半ばのことである。初めて書いた小説を、映画化してみないか…という提案を下さった方がいた。立派な映画プロデューサーである。もちろん、私はとても前向きであったけれど、しかし、自分から進んでシナリオを書くとか、実現するために動くとかいっさい、なにもしなかった。

提案されたので、いつか、なんとかなるだろう…くらいの気構えで、適当に暮らしていたのだ。いや、一応、映画化に向かって、多少動きはあったけど、別のPからのささいな提案により、すぐにその望みをやめてしまった。

どうしても映画化しよう…という強烈な意志がなく、当時の自分にはそれより大事なことがあったのだ。まあ、言ってしまえば、色恋沙汰であるけれども、そっちのが大事!という感覚で生きていたのだ。

だから、映画は撮れなかった。それならそれでいいや…と思っていたからである。

そのような過去を、今、俯瞰してみて、あー自分の人生ってそういうことの繰り返しであったのだなーと思い至ったのである。

たぶん、この世の創作者は、たいへんな時期にあっても、創作よりこっちが大事…という選択をせず、ずっと創作に向き合っているのだろう。そうに違いない。

例は違うけど、それに野球をよく知らないけど、イチロー選手とかって、毎日さぼらず、練習しているものね。

そんなわけで、自分の人生の失敗のからくりについて、気づいたので、書いてみた。自分をコントロールできないといけないんだってこと。全然、できません、いくつになっても、というか、悪化さえしているような気がする。

ということがわかった上で、ミニをまた深く愛する。明日は転院なので、ミニに会える。よかったー。

都内の病院に転院して、治療は続きます。