「マイバックページ」
梅雨空の安田講堂@東大。
映画「マイバックページ」を見て、いったい、どんな原作なんだろうと興味を持ち、さっそく、川本三郎の本「マイバックページ」を読みました。
いやー、なんというか。こういう文章、こういう内容、本のたたずまい……すべてがかつて自分が憧れたものでした。
硬質で簡潔でありながら、文章を重ねることでにじみ出てくる、独自の世界。
そして、その世界が、どこか懐かしく…自分は全共闘世代ではないのに、心の奥底にそっとふれてくるような…たぶん、誰もが経験のある、青春の頃のまっすぐな、でも、挫折を余儀なくさせるもの…が存分にあふれている。
急いで全部読みたい気持ちと、しばらくこの世界にひたっていたい気持ちがないまぜになる…という久しぶりの読書体験となりました。
ご本人によるあとがきには、川本氏が、朝日新聞社をクビにされることになった経緯にふれて、組織と個人、ジャーナリストの本質とはなにか…みたいなことをテーマにしている…とあったけれど、もちろん、それも重大なテーマであったし、いまだ、答えは見つかっていないと思うし、私自身、テレビの世界で働く上で、自分の判断とテレビ局、および、制作会社の判断が、おりあいのつかない場合の対処のしかたについては、同じように戸惑うのだから、共感できるテーマではあった。
でも。
この本に書かれているのは、丸谷才一さんが評していらっしゃるように、「比類ない青春の書」というか、学生運動とそれを取材する若い記者の精神の軌跡であり、そこには、ジャーナリストこうあるべき、などという簡単なテーマを目指したモノではなく、それはひとつの素材に過ぎず、そこにあるのは、もっと普遍的な、ひとの心の奥底にあるものだったと思う。
ジャーナリズムより、文学としてのたたずまいがまさっている。
あとがきに、「文学は敗者を弔う一掬の涙であっていいのではないか」という言葉があって、「あーそうだったんだ」と深くうなづいた。
なにか新しいことを知らせるものでなく、美しいものを称えるものでなく、正しいものを説明するものでもないもの…
でも伝えるべきなにか。
たぶん、自分が文学や小説に求めてきたものは、「敗者を弔う一掬の涙」だったんだ…ということをあらためて思った。
それが好きで読んだり、書いたりしてきたんだよね。
そんなわけで、惚れ込んでしまいました。この原作を映画にしようとしたひともすごいなと思った。この世界にひかれ、映像化したいと思う気持ちはわかるけど、難易度高いことも予想されるし。
今日、たまたま、東大に行く用事があったので、安田講堂を眺めてきました。
ずっと昔、ここから始まった事件があったんだなと。それはまだ、終わらないまま、あり続けているのだと。
それを語り継ぎたいひとがいるのだ。だから、本があり、映画がある。
終わらないものたちへの弔いは続いているんだ。