今日は、銀座で、映画「マザーウォーター」を見ました。
「かもめ食堂」「めがね」「プール」と続く、一連の作品です。(監督は違いますけれども、プロジェクトとしては一貫しているシリーズですね)。
今回の舞台は京都。小林聡美さんが店主を演じる、ウィスキーしか出さないバーとか、小泉今日子さん演じる、コーヒー店とか、市川実日子さんの豆腐やさんとか、みんな、とてもおしゃれなたたずまいで、美味しそうな店です。(豆腐やさんは普通か…)。
で、いつものごとく、事件らしい事件は起きません。いわゆる映画のシナリオの定石からいったら、「ありえない」展開ですが、むしろそれを狙っているわけで、ハリウッドのシナリオ術がすべてというわけではありますまい。
この映画の特徴は、そこに出てくるひとたちが、みんな、「ひとり」であることです。誰も、家族や恋人など、強い人間関係を持っているひとがいない。おそらく、みんな一人暮らしでしょう。それと、「会社」みたいな組織に属しているひとも見あたらない。
誰もが自分の好きなことを仕事にし、誰にも手伝ってもらうことなく、寄りかからず、ひとりで生きています。
恋愛も競争もけんかもない。親も子どももだんなも彼氏もいない。そこに存在する人間関係は、唯一「ともだち」だけです。年齢性別職業かかわらずに、みんなの関係は「ともだち」だけ。
だから、どろどろした事件は決して起こらない。お互いの人生に深く入りこむこともないです。なぜ、その店をやっているの?と尋ねることはあっても、とことん、尋ね続けることはない。
誰もがほどほどの距離をとりながら、適当に助け合いながら、生きている。
たぶん、ある種の理想的な世界なんだと思います。
自分は、すでに人生を半分以上生きたので、このような「静かな世界」にシンパシーを感じなくないです。もう、大きな欲望に振り回されることなく、静かに、自分のできることと好きなことをして、ムリをしないで生きていってもいいかって思います。
もう、恋愛も闘いもいざこざもいやだし、苦しむのもいやだ。
だから、この静かな世界を理解できる。いや、やっと理解できる年齢になったような気がします。
でも、この世には、もしかすると、若いころから、こういう生活に憧れ、実感できるひとがいるのかもしれないなーと思います。昔からいたんだ、そういうひとたちは。
ずっと前に北海道の牧場に取材に行ったとき、同世代の女性と話していたら、
「なんで、テレビドラマって恋愛ものしかないんでしょう。恋愛しない女のひとだっているのに。女同士の友情がテーマになるようなドラマってないんでしょうか」
って言われたことがありました。
その時、自分は30歳くらいだったので、彼女の話に全然ピンと来ませんでした。奇妙なことをいいなさる…って思ってました。
今、草食系男子とかいいますけど、草食系女子ってひとも昔からたくさんいて、静かに地味に恋愛などとはあまりかかわらずに生きていたいと思ってたんですよね。
でも、そういうひとたちを描く作品がテレビや映画にはなかったんですね。そういうひとたちは静かに毎日を送っているだけだから、「映画的」な視点からみると、物語を成立させにくいので、主人公になりえなかったわけです。
けれども、彼たち、彼女たちは昔からいたわけです。そして、一見、「映画的」な事件の起こらない日々にも、彼女たちなりの小さな事件のつらなりがあったんですね。
それをすくいとって描きつづけているのが、このシリーズでしょう。それを貫き通している、企画者に対してはあっぱれな思いです。ドラマを拒否するところから始めているから。
自分はずっともっと、濃くてどろどろした世界を生きてきたし、そういうもんを描いていきたいから、別世界なんですけど、でも、少しはわかるな…と思います。最近ですけどね、ようやく。
…というわけで、静かな静かな映画でした。