山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

「便所からの解放」とヤリマン再び。

「ヤリマンとフェミニズム」…すごいアクセス数です。たぶん、ツイッターのまとめからいらしてくださっているのかもしれません。

まあ、「ヤリマン」とはかなり過激な言葉ですから、こちらの意図とは全然関係ない、エロを求めてやってくる方も多いのだろうと想像します。

そういう人にとって、私が書いているようなことって、どうなんだろう。伝わる部分ってあるのかなあ。

ということはともかく、後日談です。

引き続き、戦後のフェミニズムについて、調べておりまして、すると、1970年代のウーマンリブの代表的存在、田中美津さんの言葉にぶちあたりました。

「便所からの解放」

おお。便所ってわかりますか?

トイレのことですよ。えっと、「トイレからの解放」って何?って思いますよね。

1970年代ころまで、女性ってもしかして、便所(=トイレ)に住んでいたの?

女、三界に家なし…と言われてましたけど、トイレくらいしか逃げ場がなかったってこと?

いえいえ、ちがいますよー。

「便所からの解放」の便所とは、女性の「性的役割」をさしていたんですねー。

というのも、この頃(…今もまだまだそうですけどね…)、男にとって、女性とは、母的なものか、性的なもの、二つの存在であった…というわけです。

あるいは、母(主婦)か娼婦。

便所というのは、男性が性的処理をする場所…という意味から来ています。

たとえば、「公衆便所」という言い方がありまして、これは、どんな男の相手もする女性の蔑称でした。

このような扱いに対して、田中美津さんは、「便所からの解放」と訴え、女性が男から一方的につきつけられる「性的役割」から自由になることを求めたんですね。

だって、母である前に、性的役割である前に、ひとりの人間ですよね、女のひとだって。

…あ、今でも、ひとりの人間である前に、私は母なんですうーとか、女なんですーってひともいらっしゃるかもしれませんけど、そういうひとに説明するパワーもないので、そういう方はどうぞスルーしてくださいね。

で、先を急ぎます。

なにが言いたいかっていうと、ヤリマンって、かつては公衆便所という蔑称に近かったのではないか…と思いいたったわけです。このような書き方はとても苦渋ですが、でも、たぶん、そう。

女とは、男の性欲処理を担う存在であり、多くの男の処理を担うのは公衆便所となるわけです。うげっ。

40年近く前、ひとりの女性が「便所からの解放」と叫んだわけですが、時は流れ、今や、「便所上等じゃないか」と啖呵を切ることができるようになったと。

そのことについて、深い感慨を覚えたのでした。

ホントにね、歴史を知らないとね、だめだと思うんですよ。

やりまん総選挙に来ていた女性で、「私は彼女たちとはちがうわ」って、上から目線のひともいたんですけど、あるいは、近年、とみに多くなっている、「フェミニズム?私、関係ないんで…」という存在も知っているんですけど、いつも、「ホントに?」って思います。

ホントに関係ないの?

ホントに自分が女性という性別に生まれてきたことについて、深く考えたことないの?違和感や痛みはなかったの?

と思います。

もちろん、「フェミニズム、ださい」という空気があることは十分しってます。もう、終わったこと…みたいな言い方があることも。

自分だって、その視点だけですべてを解釈しているわけではありませんけど、100年前には選挙権もなかった時代があり、結婚だけが女の生きる道であった時代があることを忘れてはいけないように思うのです。

そして、今でも一方的に女性に押し付けられたり、過剰に期待されたりしている部分については、「ホントに?」って疑問を投げかけていかないとだめだと思っています。

自分は学者でも研究者でもなく、小説を書いたり、映像を作ったりする仕事ですけど、だから、そういった作品のなかの「女性の扱い」「女性のスタンス」については、ついつい厳しくなります。

女は車の運転が下手…ホントに?

女は地図が読めない…ホントに?

って具合です。「女って、こう。男ってこう」ってロボットみたいに決めつける言葉遣いには、いつも慎重でありたいと思ってます。

「女って○○だよねー」という会話が楽しいのは知ってます。でも、うかつに信じないように、常に、「ホントに?」って思いたいです。

そこらへんのことがきちんと描けてないものはどうにも乗り切れないです。面白くできていてもね。

まあ、そんなふうだとなにかと生きにくいんですけど、しょうがないです。

…ということで、この話題は今日でいったん終了です。

明日は、数日前に試写でみた、「東京オアシス」(小林聡美主演)の話を書こうと思いますわん。

このシリーズは、何度も書いてますけど、それまでの日本映画では描かれてこなかった、「女性」を描いているんですね。

つまり、誰の恋人でも愛人でも母でも妹でも姉でも娘でもない存在の女性たち。

女性である前に、ひとりの人間であるひとたちの物語なんです。

日本映画って、まっちょのひとが作ってきたので、母か性的役割を担った女性しか、描いてこなかったんですよー。傑作だとしてもね。

ということで、また、明日。