ということで、dvdにて、数日前に見ました、カナダのマンガの映画です。
雰囲気としては、「キック・アス」風のヒーローものです。
「スコット・ピルグリム」をヒーローものって呼んでいいか迷うけれども、主人公がなにか得体のしれない悪的なものと闘う…というものを、私はざっくり、「ヒーローもの」ととらえています。
傑作ぶりでいうと、「キックアス」>>>>>>>「スコットピルグリム」なんですけど、とてもある種の雰囲気がにてるんですね。
それは、主人公が、弱っちく見えるってこと。結果的にいえば、主人公のスコットはとても強いんですけど、見た目も性格もとても強そうに見えないんですね。日本でいえば、草食系に見える。
「キックアス」の主人公は、はっきりと弱いんですけど、見た目の弱そうな感じがスコットとにてます。
なんで、このようなヒーローものが生まれているんだろうってことに興味をそそられました。
日本だったら、アレです、そうそう、「エヴァンゲリオン」のシンジくんですよ。弱くって、いつもくよくよしてて。
それでいて、「女好き」なところは、この3つの作品に共通してるなー。
弱いくせに、悪と闘わないといけなくて、女好きの青年……なんだ、それ。
カナダとアメリカと日本で、なにが起こってしまっているのかしら。
あ、とりあえず、「スコット・ピルグリム」のざっくり説明をしておきますね。特にネタバレはないです、たぶん。
主人公はスコットという、バンドをやっているフリーターの青年。ひょろりとしていて、全然、女にもてなそうな奴です。でも、案外モテたりします。
なんで「ピルグリム」なんて壮大な名前なんだろうって思うんですけど、今、調べた限りではその根拠はわかりません。ピルグリムってイギリスから新天地を求めて、アメリカにわたった清教徒のことですよね。あるいは、巡礼…。
正義の味方…という意味が込められているのか…。
ここらへんはよくわからないので、先に進むとして、この主人公のスコットが、とある女の子を好きになり、彼女と交際するために、彼女の元カレ7人と闘う…っていうストーリーです。
漫画原作だそうですが、ゲームっぽいです。次々と襲いくる元彼たちを倒して行きます。それが、もう、いわゆるゲームです。ゲームそのものです。
実際、「ゼルダの伝説」の音楽も使われているそうで、作り手たちの日本のゲームに対するリスペクト(…なかなか使いたくない言葉ですが)を感じるのでした。
なので、全体的にゲームっぽい、漫画っぽい展開でして、古典的映画ファンからは嫌われそうな匂いのする作品ではあります。
面白いけど、時々、さすがにちょっとあきます。
そんなわけで、闘いが進んで行く…という作品なのですが、注目点は、「ヒーローの弱々しさ」でした。
かつて、このようなヒーローたちって、いわゆるマッチョだったでしょう。それがさー、90年代の終わりくらいから、「よわい」感じのヒーローが出てきた。あるいは、自分のヒーローとしてのあり方に悩むようになってきた。
なぜかしら。
さすがに、世界中で、「俺って強いもんね」という意識だけではやっていけなくなってきたってことですよね。マッチョ大国アメリカですら、悩むヒーローが出現した。
9・11をはじめとするテロとの闘いがあり、その時だって、自分たちが絶対正義だなんて、思えなくなっているからこそ、「迷えるヒーロー」が生まれるのではないかしら。
テロとの闘いについては、自分たちを絶対正義とするアメリカ人もいるでしょうけれども、そうじゃないひともいっぱいいるはず。
イスラム世界との闘いに、自分たちは絶対間違ってない…なんて言えないよね。自分たちがやってきたことへの反省と疑問があるはず。
こういう大きな流れは、端的にエンタメの世界にも反映される。もちろん、まだ、主流じゃないにしろ、ひしひしと「強い=偉い」に対する疑問が現れてくる。
……そういうことを考えさせてくれて、面白かったです。
「ソーシャルネットワーク」にしろ、世界を変えるのは、見るからに強そうなマッチョではなく、ひょろりとした、オタクみたな奴らじゃないかって、だんだん、みんなわかってきているんじゃないかな。
エンターテイメントって、世界のカナリヤみたいなものだから、世界が変わる前に、その姿をストーリーや映像によって見せてくれるのだと思うのでした。
それは虚構であるけれど、未来を予言し、真実のかけらを含んでいるものなんですよね。
……って、「スコット・ピルグリム」にそこまでいうのは、言い過ぎではありますが…。
ところで、明日、もしくは、明日以降の予告として、昨日、敬愛する劇団ポツドールの久しぶりの新作「おしまいのとき」を見に行きました。
ので、その感想を書きたいを思います。
やっぱり、ポツドールだったよ。