山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

世界はつながっているのか。

なんだか、とても疲れている。

万人が読むブログに「疲れている」とか書かないほうがいいのではないか…という思いもある。

だって、フリーランスで働く身ですから、「あーあの人、疲れてるんだ。もう、ダメだね」と思われて、仕事失うかもしれないし、マイナスなことは公表しないほうが身のためのような気もする。

この世界は、今や、ネット上でほんのちょっと言ったことが大きな波乱を呼んでしまうこともあるからだ。

誰かが書いたツイッターのひとことで、国家が崩壊したりする……いや、大げさじゃなくて、エジプトのジャスミン革命なんかそういう要素もあるよね。

なので、自分が、安易に「疲れたー」とか書いてると世界の裏側で、見知らぬ子犬に迷惑がかかるかもしれない。わからんけど。

本日、録画してあった、アメリカのテレビドラマ「touch」を見た。

タッチって日本の野球マンガが原作…じゃないですよー。

「24H」のキーファー・サザーランドが主演の不思議な親子ドラマ。キーファー演じる男の11歳の息子は、生まれてから1度もしゃべったことがない。

でも、秘めたる才能を持っていて、この世のあらゆる現象にあらわれる数学的法則(?)を読み取ることができる。

携帯電話の番号、バスのナンバー、日時、宝くじの当選番号などなど…それらの数字に表れる共通項を読み取ることができて、その能力を使って、起こりそうな悪いことを避けたりできるのだ。

バタフライ効果を読むことができて、ほんのちょっと世界を動かせる…みたいなことかな。

彼に言わせると、世界はつながっている。

自分たちの目に見えている世界だけがすべてではなく、もっと大きな力がゆるやかに、世界を覆っている…それを理解して、動かすことができる人もいる…ということを想像するのは、目の前の現実でキューキュー言っているひとにとっては、救いになるだろう。

それと、学力やスポーツ能力みたいなわかりやすく、すぐ評価される能力ではなくて、秘めたる、でも、絶大な能力を、一見、無能そうに見えるひとが持っている…というのは、小気味いい感じがするのだろうと思う。

だから、多くの人が見るテレビドラマのキャラクターになる。

……そんなことを考えながら、見てました。面白かったけど、どっかでつじつまが合わないような気もした。

それにしても、日本のわかりやすいイメージは、もはや、フジヤマゲイシャ(古すぎか)じゃなくて、セーラー服きたお姉さんがエンコーしてくれる国なんだよね。巨大モニターと女子高生援交の国。

このイメージはけっこう根強くて、ロンドンにいたときも、よく聞かれました。「東京行ったら、女子高生の売春婦に会えるんだよねー」みたいに。あ、これ、韓国でも言われたけど。

まあ、完全になる間違いではないけど、日本が世界に誇るものって、それだけだっけ?と思うと、すこし残念な気もしました。

…というわけで、世界はつながっているので、ここに「疲れてる」って書くとなにかが変わるのかな。