山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ポツドール「夢の城」

先週、池袋の芸術劇場にて、劇団ポツドールの「夢の城」を見ました。

ポツドールは、ここ4,5年はずっと注目している劇団でして、「愛の渦」とかマジ傑作だし、とにかく、欠かさず見ております。

この「夢の城」は再演とのことで、未見だったので、たいへん楽しみでした。

ざっくりとした内容を書きますと、東京の某所、車の騒音が聞こえて来る、都心のマンションの一室に、どんな関係かわからない若い男女が数名で暮らしている。(男4,女3くらい)

彼らのやることといったら、セックスしてゲームしてマンガ読んで食べて寝て。ほとんどこの繰り返し。

時々、外に出て行くので、少しは働いているのかもしれませんが、いい加減な服装から働いているとしてもまともな仕事であろうはずはありません。

要するに都会の片隅に生息する、クズな、というか、かなりダメな男女たちです。

で、セリフはなし。

ひたすら、目前で繰り広げられる乱交めいたセックスと、じゃれあいのような殴り合いと、だらしない寝姿。

とにかく、それがなんの言葉もなく繰り返される。

俳優も女優も半裸になって交わりますから、最初に見たときはびっくりするわけです。

その乱交ぶりやだらしのなさに。

まさに「ケモノ」のような暮らし。荒んだセックスと暴力。一見すると、恐ろしい世界のように見える。

が。

これが目前で繰り返されていくと、唖然として恐怖を感じた彼らの無軌道な暮らしが、ちょっとずつ、当たり前のことに見えてくる。

無謀なセックスがケダモノのよう…というより、生き物らしい、というか、特に恐ろしい感じがしなくなってくる。

舞台が続けば続くほど、始まったときに感じた、彼らに対する驚きや恐怖や嫌悪がなくなり、むしろ、愛らしくさえ思えてくる。

途中で、ほんの少し、彼らの人間らしさや心を見せる動きがあるのですが、それがなくても、彼らの暮らしが、どれほどのものか、という気持ちになる。

つまり、暴力やセックスの力を無化していく。それがどれほどのものか、と問われているような気がする。

一部の日本映画や韓国映画に、激しい暴力やセックスシーンを描き、「どうだ!」と言わんばかりの作品があるけど、そういう作品とこの「夢の城」は一線を画す。

最初は、「どうだ!恐ろしいもの見せてやるぞ」と演出されているように見えるけど、そうではなくて、暴力やセックスの力をなしくずしにしていく。激しいシーンを演出していながら、決してそれに酔っていない。無軌道な不良たちの暮らしなんて、この程度のものだ、ちっともたいしたものではない。

むしろ、平凡な生活なのだ、と思えてくる。

そこがすごくいいと思った。

もちろん、「愛の渦」などのようにちゃんとストーリーとセリフがある作品のほうがずっと好きですが、「夢の城」の、自堕落な彼らの生活から、その力を奪ってしまう演出がうまいなーと思いました。

これを見て、過激だ!と驚いたままではいけません。繰り返すことでその過激さを奪ってしまうところが、見所だと思うのでした。