今日は、日本映画監督協会の新人賞の授賞式でした。
案内が送られてきたとき、そのチラシにひかれて、絶対、見に行こうと思ってました。
で、行ってきた。予感は間違いじゃないかった。
とてもよくできた、そして、強い作品だった。
映画は2001年の渋谷から始まる。路上に女子高生たちが座り込み、チーマーみたいな青年たちが意味なくうろつき、ストリートミュージシャンが声を上げる、にぎやかで猥雑な場所。
そこに生きる少年少女たちが、なんだかとてもくっきり映っていた。多分、当時、何度もテレビなどで登場したかもしれないような、渋谷のギャルや少年たちなんだけど、話している内容はネガティブなことが多いのに、それでも彼らがそこにいた感じがものすごくよく、切り取られていた。
そこで、カメラは一人の女の子に出会う。これ、監督が出会うっていうより、カメラが出会うって感じがした。
監督の…撮っている側の息づかいみたいなものはあんまり感じられなくて、カメラが彼女を見つけたように見えた。私はそれがとてもよかった。
監督仲間のなかでは、逆にそれが足りない、愛がないと指摘する人がいたけど、私は、愛なんていらねーし、そんなもんで写し取れると思うなよと言いたいし、愛などという幻想に支えられていた時代はとうに終わり、もう誰もそんなこと信じてないんだよ、ってカメラが言ってる気がした。
話を映画に戻す。
被写体となった彼女は、歌手志望の19歳、とてもカワイイ顔をした、元気いっぱいの子だ。
佐賀からヒッチハイクで出てきて、渋谷の路上で歌い、「有名になる」ことを目指している。
まっすぐで、元気でかわいくて。
それをまっすぐカメラがとらえている。
けど。
カメラは残酷だから、元気でカワイイ彼女のなかにうっすらとなにか負の予感すら見せてしまう。
カメラは彼女を追い続ける。
大手芸能プロにスカウトされ、都内のマンションを与えられ、未来が開けたように見える。
けれど…。
結局うまくいかない。行き場のない彼女。
それでも、路上で歌っている頃に知りあった女性の家にころがりこむことができた。
だけど。
このあたりで、彼女がそれまでどんな風に生きてきたかが、わかってくる。言葉のはしばし、演出スタッフに見せる小さな態度。
そういう重なりが彼女の弱さを見せていく。
ついに精神を病んでしまう。
カメラはその後の様子も容赦なく撮し続ける。残酷なほどクールに。
決してなにも裁かず、感情移入せず、事実を淡々と撮る。
それが私は、ホントに良かったと思う。
それから10年の時間がながれ、カメラは再び、彼女を探して彼女の故郷、佐賀へ向かう。
そこに現れた彼女はもう、渋谷で歌っていた元気いっぱいの子ではない。ないけど。
とにかく目が離せない86分だった。
なんてクールで残酷で正直な作品なんだろうと思った。編集のキレがよくて、プロの仕事だと思った。
彼女を追いかけているようで、突き抜けた先が見えていた。私にはそう見えた。選考委員のなかでも評価が分かれたそうだけど、私は一押しだった。
(本当は今年の新人賞の選考委員に誘われたんだけど、スケジュールがなくて辞退した。もしやってたら、一押ししてたと思う)
そんなわけで、受賞式の後の宴会でもこの作品の話で持ちきりでした。
そして、もうひとつすっごく嬉しいこともあった。
尊敬する澤井信一郎監督に初めてお会いし、しかも、澤井監督、私の映画を見てくれていた。
しかも!
ほめてくれたよー。うれしー。ちゃんと覚えてて、いろいろ言ってもらえてうれしーのなんのって。
澤井監督の「恋人たちの時刻」は大好きな映画で、いつか自分もこういう作品撮れたらいいなってずっと思ってたし、今も思ってる。
今日の映画の主人公に通じるものがあるし、自分の映画にも実は「恋人たちの時刻」の影響があるし、延長線上にあるって、自分では密かに思ってたんだ。
その後も演出について、いろいろ話を伺う。
芝居の作り方、演技はどうやって作るか、話してくださった。
うーなんて贅沢な時間。
生きててよかった。こんなちっぽけな自分なのに、20代の頃に憧れた監督とならんで座って話ができて、しかも自分の映画見ててくれてて。ちゃんと撮れてる、自信もて、って言われて。
泣くかと思った。
すごくすごくうれしー夜。