映画「イングロリアス・バスターズ」
前からほしかった、野田琺瑯のケトルを買いました。写真で見ると、けっこう小さく見えるけど、それなりのがつんとしたやかんのたたずまいです。鮮やかなオレンジなんだけど、バックとの兼ね合いで落ち着いた色に見えるなー。
自分はお茶という飲み物がたいへん好きでありまして、紅茶がもっとも好きですが、その他のお茶も好きです。で、お茶って電気のポットでいれたものより、やかんでお湯をわかしたもののほうがずっと美味しいんですよねー。ほんのちょっとの手間ですが、家でお茶を飲むときは、お湯湧かしてます。ので、ケトルも3つくらい持っているのでした。
そんな気の抜けた話はともかく、今日は昼間、映画の取材があって(自分じゃなくて、出演者さんたちの)それにちょっこり顔を出して、そのあと、渋谷で映画「イングロリアス・バスターズ」を見ました。
実はそんなに期待してなかったんです。知り合いの映画関係者があんまりほめてなかったし。タランティーノって、終わりなの…?みたいな意見も聞いていたし…。けど、やっぱり見とかないと…と思ってゆきました。
最初は、なんか、会話のシーンが延々長いなーとか、ちょっと退屈?とか、流血シーン過激過ぎ?とか「?」気味に見てました。それに、なにしろナチのお話です。第二次世界大戦中に、ヨーロッパでナチが何をしたかってことは、もう充分メディアを通じて、知っているわけですから、また、その悲惨さを見せられるのは、ちょっといやだなー残酷なシーンみたくないなーと正直思っていた。
けど。自分、この映画好きでした。タランティーノ復活!と思いました。原点回帰の部分多かったし。タランティーノらしい作品。そして、いくつかのシーンはさすがだーそうこなくっちゃってところがあったなー。途中からとても好きになった。なんていうか、運命の皮肉みたいなこと、罪なき善意が悲惨な死を招くとか、それでも残るひとの気持ちとか、残酷だけどひねりの聞いたストーリー展開とか、シナリオがよかったなー。
そしてこれは間違いなく、タランティーノが「映画」に捧げた映画なんだと思った。戦火を免れたパリの映画館を炎上させて、歴史を変えようとするお話なんだ。つまり、文字通り、映画が歴史を変えるお話。映画のフィルムが炎上することによって、ヒットラーを殺すんだもん。時に映画は武器になるということ。
年齢をかさねて、映画というメディアそのものへの愛情が勝って、できた作品のようにも見えた。かつて、ジョン・アービングが、「小説とは、こうあってほしかった出来事を描くものだ」みたいなことを言っていた。事実はどうあれ、「こうだったらよかったのに。未来はぜひ、こうあってほしい」
という思いを込めて描く。結構、そうだと思う。自分もそうだから。
で、この映画はまさに、「こういう歴史だったら痛快だったのになー」という映画である。映画の力で歴史を変える、戦争を終わらせることだってできたのにという夢が語られているのだ。逆に映画の力で戦意の高揚をはかり、戦争を激化させることだってできる。映画のなかで、ナチはまさにそうしているわけだし。そういう意味では、かなり、メタ映画の様相を帯びているんだけど、自分は、ナチに家族を皆殺しにされたユダヤ人の少女が大人になって映画館を経営し、ナチに復讐しようとするくだりに胸を打たれました。そして、映写室の最後のシーンと、彼女が最初で最後に作った彼女の映画……非常にあのシーン良かったなー。じんわりしました。
というわけで、週末は幸せでした。12月もあと3週間。ラストスパートだもん。頑張って働こう。