山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

どんどんフラットになっていくから。

そういえば、暑中見舞いとか残暑見舞いの葉書ってめっきり来なくなった。

自分も出さないけど。

いちいち葉書出さなくても、メールでいつでも連絡とれるわけだし。

このようにして、いわゆる伝統的な行事は減っていってる。

自分はフリーランスなので、曜日もあまり関係ない。連休も夏休みもないかわりに、いつでも休もうと思えば休める。

ふつうの家族形態ではないし、親戚づきあいもほとんどないので、何でもアリの毎日である。

かようになにごともフラットになっていく。

ある意味、ずーっと同じ日常が続くのだ。

これはきっと、多くのひとが今、体験していることなのだろうと思う。

コンビニは24時間やっているから、朝でも夜でも、なんでも食べようと思えば食べられるし、テレビだってオンデマンドであとからまとめて見ることもできるし、今が、いつなのか、ってことに縛られなくなりつつある。

だからこそ、メガヒットが生まれるのかもしれないと思い至った。

え?どういう意味?

つまりー、たくさんのひととなにかを共有することが減ったため、「同じテレビドラマを見ている」「同じゲームをやっている」「同じ本を読んでいる」などの共通体験が切望されるということ。

作品の善し悪しもあると思うけど、一度ヒットが始まると加速度的にそれが広まる。

ものすごい勢いで「みんなが見ている」状態になる。

ちょっと集まりがあると、それが一度は話題に上る。面白いかどうかは別にして、見てないと会話に入れない状態になる。

こうして、メガヒットが生まれていくんだなあと思った。

だから、それはやっぱり「祭り」なのだな。

ひとには、祭りが必要なんだよね。

同じものを見て(読んででも、聞いてでも可)、それを共有すること。

そこになにかが宿るんだ。

自分はなかなか祭りに参加できてないけど、同じものをみて、一緒に盛り上がる楽しさは知っているつもりだ。

女子会、なんてやつもある種の祭りかもしれない。「女」という同じ体験を持つもの同士で盛り上がろうというわけだ。

放っておくと、どんどん世界はフラットになっていくので、要所要所で祭りが必要になり、自然発生的に祭りが生まれてくるんだと思う。

…こんなこと、すでに誰かがいっぱい言ってきたような気もするけど、しみじみ思ったので書いて見ました。

たまには祭りに参加したい。