山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

道に迷った旅人のために。

先週、東京都内の唯一の村、檜原村へ行って来ました。



都内から車で2時間弱、山あいにあるひっそりとした村でした。

ここで、初めて会ったお婆さんのお宅にあがり、いろいろ食べさせてもらいました。

もちろん、いきなり押しかけたのではなく、村在住の若者がいて、彼と一緒だったから、かなったのですが。

最初は、「まあ、お茶でも」ってことで、上がり込み、こたつに入り、あれよあれよといううちに、お茶菓子がわりの小魚の煎ったものがでてきて、これが香ばしくておいしく、お昼ご飯を食べていなかったせいもあって、うまい、うまいと言い立てたところ、これも食べなさいと、キャラメルや飴を子供のように勧められ、それをつまんでいるうちに、ネギ味噌なるものがでてきて、それをうまい、おいしい、どうやって作ったのだ?と尋ねるうちに、ネギ味噌にあうという麦ご飯が出てきて、そうなると、次は大根の葉っぱの漬け物で、ほんのちょっと上がり込んだのに、1時間近くこたつにあたりつづけ、昼ご飯がわりにすっかりご馳走になったのでした。

いえ、テレビの取材などをしていると、いろんな方のご厚意に甘えて、さしいれだの、お食事などをふるまわれることは多いです。

お土産を持たせてもらったり、商品が届けられることもあります。

けれども、今回は、テレビのひとと認識されたわけではなく、ふらっと立ち寄った旅人にまあ、お茶でも飲んでいきなさい、という感じのご馳走でした。

一人暮らしのおばあさまなのですが、突然現れる誰かのために、ちょっとした食べ物を用意しているんですねー。

まさに、道に迷った旅人のため、です。

どこかの国の、どこかの村の習慣で、いつも、家族の分+一人前分、多く食事を用意することがあると聞いたことがあります。

これもまた、道に迷った旅人がいつ訪れてもいいように…とのことでした。

ずっと昔はそのように、道に迷った旅人が一夜の宿を求め、メシを求めることもあったのでしょう。

なんというか、そういう習慣がまだ生きている場所が、都内にあるのだ、ということに静かに心を打たれました。

そのおばあさまは、私が何者かも知らず、「お腹をすかせたもの」として、次々と食べ物を振る舞ってくれたのでした。

なんだか、ぐっと来たのでした。

もう2度と現れないかもしれない、お返しもしない奴にも、あたたかく振る舞う。

ある種の人々には当たり前のことかもしれないですが、自分のような者には、非常に打たれることでありました。

こういう人を傷つけるような仕事だけはしまい、と思いました。