山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

熊野~京都~映画。

5日間ほどの熊野~京都のロケから帰って来た。

11月中は、伊豆大島、熊本、そして、熊野、京都と毎週のようにどこか行ってて、結構慌ただしかった。

その間にも初稿とはいえ、1時間ドラマの脚本1本書いたし、犬の映画の体制を決めたりして、遊んでいるようで、一応、進んでいる。

熊野はもう何回目になるのかしら。

初めて行ったのが、13年の8月で、13年~14年の年越しを熊野でして、今年は6月、10月、そして、今回と3回目だ。通算5回通っている。

いつも泊まるホテルからの風景。川縁でとても気持ちがよい。



時々、本館の和室に変更になることがあり、温泉旅行気分が味わえる。



今回は、取材対象の若者たちもここに泊まりに来て、一緒に露天風呂入ったり、小宴会したり、夜中まで話したりして楽しかった!

遊びに行っているわけではなく、もちろん、撮影なんだけど、1年半以上追いかけていると、ついつい、友達気分になってしまう。

できあがりはともかく、取材を通してそういう時間を持てたことはとてもいいことだ!と思うことにしてる。

っていうか、楽しかったし、いろんな新鮮な話を聞けたから、いいと思う。いいのだ。

熊野に3日くらいいて、4日目に京都に移動した。



恋人たちが等間隔にならぶ、夜の鴨川。



京都は紅葉で、ビジネスホテルは全然あいてなくて、偶然見付かった、古風な旅館?民宿?合宿所?みたいなところに泊まった。

お風呂、トイレなどが共同で、いろいろミラクルであったが、もう、それも終わったことだ。
(fbではいろいろ書いてしまったけど)



祇園~。

京都へ行ったのは、2011年の3月以来。あの時は母と一緒であったな。地震の直後で、母を連れて一応避難したのだった。

それを思い出すと感慨深いけど、それももう終わったことだ。

旅館の近くで見つけた肉やのコロッケ。



これ、思いの外美味しかった。



29日(土)は京都大学の学生寮・熊野寮にロケに行った。

少し前にニュースなどで話題になった熊野寮だけど、なんだか懐かしい感じがした。

ワセダの学生会館に雰囲気が似ていたからだ。

私たちは「学館」と呼んでいた。

自主映画のサークルの部室、というかコーナーがあったから、よくそこに通った。

80年代であったけど、まだ、学生運動の気配が学内にもあったし、学館にはそういう空気がかなり流れてた。

殴り書きしたような立て看板とか、手書きのビラとか…。

そういう空気のなかで、8ミリで映画作っていた。

それがすごく大事なことで、大きなことで、意味あることだと思っていた。

まあ、今も似たようなことしているし、結局それで、一生生きて来てしまった。

………。

熊野寮ではずっと追いかけている、phaさんの講演会があったので、それを撮りに行ったのでした。

この模様は現在も撮影中の映画版に出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。

編集してみないとわかんないからねー。

これから3月オンエアの1時間ドラマひとつと、犬の映画の撮影と、猫のドキュメンタリー番組と、そして、「phaさん・ザ・ムービー、働きたくない!」と立て続けに作る。

たいへんそうだなあ。

と他人事みたいに思いつつ、今日は、白石和彌監督の「ロストパラダイスイントーキョー」を見に行った。

見れてよかった。

都会の片隅で暮らす、お金も希望もない男女が、彼らなりのパラダイスを模索するお話…とでもいいましょうか。

とてもていねいに作られた、じんわりくる作品だった。

行き場のない若者…ってことになる。怒鳴りまくる上司のいる会社で働いたり、風俗だったり…。非常にシビアな現実のなかで、主人公たちは生きている。

こういう話は好きなんだけど、振り返ると、自分はそういう状態になったことがない。

いつもそこそこ恵まれた環境で生きてきた。お金の苦労もそんなにしてないし、仕事上も割と若い頃から好きなことがやれて、内容について、もめることはあっても、理不尽すぎる状態になったことはない。

たいてい、一緒にいて、支えてくれるひとがいたし。

じゃあ、幸せなのかよ、と問われると、客観的状況はそんなに悪くないけど、気分は最悪なことが多かったような気がするなー。なに、贅沢いってるのか、ということになるが。

自分で描けることを描いていくしかないんだけど。

内田滋さんが、とても良かった。