山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

さびしい。

 日曜日に逗子の家で宴会をやった。テレビの仕事の関係者(主に女子)が集まって、飲んだり食べたり泳いだり。8月の初めの湘南、すばらしい天気。目の前には海、というわけだけれど、参加者の中の最年少、21歳でとても愛らしい外見の女子がフトもらした言葉が「さびしい」。突然の告白に戸惑っていると「どうしたらいいんでしょう」と問いかけられた。あまりに唐突だったので、答えようがなかった。それに10名以上の宴会になると個別のおしゃべりがしにくい。ましてや、私はみんなを招いた側であり、海の家のおばちゃん状態。じっくり話している間がなかった。
 賑やかな彼女たちが帰った後も、「さびしい」という言葉がずっと気になった。21歳でかわいい女の子だったら、この世は楽しいことばかり、欲しいものはなんでも手に入る、と思っていた。いや、そんなこと思ってない。考えてみれば、自分だって21歳の時があったんだ(かわいくなかったけど)。今よりずっと息苦しかったことは確か。それを思うとよく今日まで生き延びたと思う。(ちょっと大袈裟か)
 じゃあ、大人になった今はさびしくないかというと、これがしょっ中さびしい。ほんの些細なことですぐに死にたくなる。若い頃よりましなのは、脱出の仕方を覚えたことくらいか。「さびしさは鳴る」って文章があったけど、鳴りそうになったら、さびしくないふりをし、さっさとできることをし、考えるのを止めることにしている。さびしさに浸って、音楽かけてアルコールにはまっていた時期もあったけど、そういうことしてるとどんどん悪化する。余計なこともするから(好きでもない♂に電話するとか)、事態は、複雑化するのだ。結果、さびしいだけでなく苦しいことまで背負い込むことになる。
 ・・などど偉そうに書いているけど、それはさんざんバカなことをやったから言えるわけで、結局全部試したけど、どれもこれも一時しのぎになっても根本的解決にならないってことにたどり着いたからだ。男がいるとか、仕事がうまくいってるとかは関係ない。言えることはただ一つ、根本的解決なんてない。人生なんてずっとさびしいんだ。それが答え。ショーペンハウエルも人生は苦悩か退屈かって言ってたし(古すぎ?)。でも、ほんとかどうかは「さびしさ」を紛らわすありとあらゆることをしてみてからしかわからない。何もしないで諦めるのには人生は長すぎる。(それにバカやっている時というのはそれなりに楽しいもんだ)
 そんなわけで、実は今、私も「さびしい」。それは21歳の彼女とは全く違う原因によるけれど、彼女より深刻なのは、たいていの解決策は試してしまった、ということ。今さらばか騒ぎに戻れない。肝臓も弱ってるし。で、どうするかというと、どうしようもない。いくつになっても気持ちは17歳のままなのに、外見がそうではなくなってしまう点がより過酷なところだし。仕方ないので、犬と散歩してジムに行き、1時間筋トレして、プールで2キロ泳いでみました。結果?とりあえず、疲れて眠ることはできそうです。